摩訶不思議探偵局〜ストーカー殺人事件〜
今回、登場人物等は省きます。

ストーカー殺人事件〜捜査編

 情報提供者は、被害者のバイト先の男子大学生だった。
 まず男子大学生が土曜日のニュースを見て、「なんとなく似てるな」と思ったという。
 そして次の日の日曜日、バイトに出ても彼が来ず、店長(ちなみに、ファミレスである)が彼の自宅にもケータイにも電話したが出なかった。
 だがこの時点では、まさかニュースの被害者だろうなどとは思いもしない。そもそも、そんなニュースがあったこと自体、忘れていた。
 さらに翌日の月曜の夕方。大学の講義を終えてバイトに入ると、店長が今日も奴が来ない、と怒っていた。そこで店長の釣りあがったキツネのような目を見て、「あ!」と思い出したのである。
 ニュース画面にあった、彼そっくりの被害者の似顔絵。

「被害者の名前は、石黒国男(いしぐろ くにお)。28歳のフリーターです」
 猫山が、手帳を見ながら兜に報告した。オフィスの窓から夕日が差し込み、まばらな事務机がまぶしく光を反射している。それに気付いた刑事が1人、書類整理を中断して立ち上がり、窓にかかっているブラインドを閉め始めた。
「死体発見現場から14km上流の、『ひなた壮』というアパートに1人で住んでます。情報提供者は被害者がバイトをしているファミレスの店員ですが、被害者の履歴書によると、他のバイトも多数やっているようです」
「意外に交友関係が広いじゃないか」兜がデスクから身を乗り出した。「どうして今まで、誰も情報を提供して来なかったんだ?」
「交友、といってもあくまでバイトをやってるだけっすからね。『仕事仲間』であって『友人関係』にある相手は、少なくともファミレスにはいないようです」
 それにそもそも、仮に友人だとしても、たった1日バイトを無断欠勤したぐらいで警察に通報したりしない。むしろ2日休んだだけで通報するほうが稀だ。
「あと、具体的にどこでバイトをしてるのかも、不明のままっす。履歴書には居酒屋やアイスクリーム屋の名前が並んでましたが、勤務場所までは書いてなかったので」
 兜はようやく身を引っ込め、背もたれに寄りかかった。
「それから、近所に聞き込みを行ないましたが、特に親しい人はいなかったようすね。アパートの住人とも、大家以外は面識がなかったようです。動機を持つ者も、今のところ見つかってません」
「近所付き合いはしていなかったのか」
「へい。ただ、平日の昼間や夜中に外を歩いていることがあり、それを見て不思議に思っている女性が何人かいました」
 石黒はフリーターである。平日の昼間に暇なときもあれば、夜中にバイト先から帰ってくることもあるだろう。ちなみにこの女性は、全員主婦である。買い物帰りに石黒を見つけたりして、ご近所さんで噂しあっていたようだ。彼女らの中では、30にもなって親に世話をしてもらっているニートだということで見解が一致していた。
「例えば、毎週金曜の夜10時ごろ、川岸の遊歩道を歩いている姿を、川岸の家に住む女性が目撃していました」
「なに?」兜は再び身を乗り出した。「被害者の死亡推定時刻は金曜夜6時以降だったな? 先週の金曜、被害者は目撃されているのか?」
「されてなかったそうです。つまり、そのときにはもう、殺されていたと考えていいと思います」
 兜は一度下を向いた後、再び顔を上げた。
「ちなみに、どうして被害者はそんな時間に、毎週決まって外にいたんだ?」
「さぁ、それはまだ。ですがフリーターなので、何かバイトをしていたのかもしれません」
 兜はまた背もたれに身を預け、ふぅむ、と言った。
「それで、家宅捜索の許可は?」
「現在申請中です。明日の朝には下りると思います」
「よし。なら明日の朝一で捜索に行くぞ」
 だがこの捜索で、意外な事実を知ることになった。

「なんだこりゃ」
 部屋に入ると、開口一番、兜が言った。
 ひなた壮があるのは、最寄駅から歩いて10分以上かかるところだった。その代わりと言ってはなんだが、少し歩いたところに川が流れ、人通りの少ない静かな立地条件だった。ただし、川の流れは速く、雨の日などは濁流の音がうるさそうである。
 ひなた壮には8つの部屋があり、すべて同じ構造をしている。1人暮らしにぴったりの、1Kの部屋。玄関の扉を開けると、すぐ左手に台所があり、その奥に風呂とトイレに続く扉がある。また、玄関の正面には8畳の居室につながるドアがあり、兜たちはそこに入った。そこは男の1人暮らしにしては、整理されていて綺麗だった。部屋の真ん中に小テーブルがあり、1台のノートパソコンと携帯電話が載っている。また壁際にはハンガーラックがあり、そこに服が何着も無造作にかかっている代わりに、床に洋服が散乱しているようなことはことはない。小型の液晶テレビがテレビ台の上に置かれ、その隣りにデジタル時計、鏡、カミソリ、ティッシュなどがあり、それらをちょうど手に取れる位置にベッドがあった。
 それだけ見れば、整理整頓の得意な、でもやや動くのを面倒くさがる男の部屋だった。
 だが、問題は壁だった。
 部屋は当然、四方を壁に覆われている。正確には、一方の一部は窓が、他方の一部にはドアや押入れがあるが、それらを除けば全て壁だ。
 その壁という壁すべてが、写真で埋め尽くされていた。ドアや押入れも、埋め尽くされていた。
 そしてそのすべての写真には、同じ人物が写っている。
 写真の人物は、栗色のストレートが目立つ女子大生と思しき人物だった。染めているわけではなく地毛のようで、つやつや輝いているのが写真でもわかる。大きな丸い瞳と薄い唇が、清楚な印象を与えた。
「アイドル、ですかね。こんな子いたかな?」
 写真をマジマジと見ながら、猫山が言う。
「そんなわけあるか」と兜。「どうみても盗撮だ。どうやら被害者、ストーカーだったようだな」
 写真の女性は、カメラを全く意識していない。ごく自然な表情だ。1人で歩いているところやテニスをしているところ、友人とファストフード店でお喋りしてるところまで撮られている。
 ボーっとしている顔や、真剣なまなざし、モゴモゴしている口など、こうしてみると色々な表情があるものだ。
「今度は、この女の身元を調べないといけないな…」
「でも、女性の名前はわかりますね」
 猫山が一枚の写真を指さして言った。
「ほら、この女性が帰宅してる写真。玄関の横に、『井上』って表札がかかってます」
「友人宅かも知れん」と兜は呟いた。「だが、この家は探すべきだな」
 すぐに刑事たちが、その写真をカメラに収め、外に出た。
「さて俺たちは、この部屋を捜索するぞ」
「へい」
 猫山が同意し、兜も他の刑事たちと交じって部屋を調べ始めた。

「この間の死体の事件、どうなったのかな?」
 お菓子のクッキーを頬張りながら、真実がつぶやいた。兜たちが被害者の自宅に踏み込んだ、次の日である。すなわち、水曜日。
 ここは学校の教室。そして今はお昼休み。給食の出る遊学学園中等部では、基本的にお菓子の持ち込みは禁止されているが、そんなことお構い無しの女子は多い。真実もそんな1人であり、4人が合わせた机の上に、クッキーを置いていた。教室には、他にもおしゃべりをしたり、黒板に絵を描いたり、カードゲームに興じる生徒たちがいる。が、大部分は外に遊びに行っているようだ。
「今朝、兜警部から電話がありましたよ」
 メイが言うと、「えっ」と真実が身を乗り出した。
「やっぱり、お兄ちゃんの力が必要だって?」
「特にそういうわけじゃないみたいだけど……」メイはたじろぎながら、「被害者の身元がわかったそうです」
「へぇ。どこの誰だったの?」
「石黒国男、28歳のフリーターだそうです」
 メイが思い出しながら、石黒のプロフィールを語る。アパートの場所や、バイト先などなど……。
「それで、どうやら被害者の男性はストーカーだったらしい、と言ってました。女子大生をストーキングしてたらしいです」
「ストーカー? ってことは、この事件はストーカー殺人ってこと?」
 普通「ストーカー殺人」と言えば、「ストーカーによる殺人」を指す。が、この場合は逆だ。
「ええ。それで、もしかしたらそのストーカーの被害者が犯人じゃないか、って話が警察内でも上がってるって」
 むろん、バイト先の人間で石黒に殺意を抱いている人間も捜しているだろうが、ストーカーの被害者は最有力容疑者だろう。
「でもなぁ」謎事は首をひねった。「ストーカーにあってたんなら、殺すんじゃなくて警察に行けばいいんじゃね?」
「ええ、実は…」メイが伏目がちに言う。「そのストーカー被害者の女性、井上千波(いのうえちなみ)さんと言うらしいんですけど、実は過去に数回、警察に来てたんだそうです」
「えっ?」
「警察の方に記録が残ってて、それでこの女性の素性もわかったって…」
 火曜日のうちに、兜たちは警察の記録から女性の素性を割り出した。
「その女性は遊大(ゆうだい)の2年生で、母親を中学の時に亡くして以来、父親と2人暮らしなんだそうです」
 兜はこんな一般人のプライベートを、一介の中学生のペラペラ喋っていいのかな、と真解は思った。警察の守秘義務とかに反するのではないだろうか。
 ちなみに遊大とは、「遊学学園大学」の略であり、真解たちの通う中学「遊学学園中等部」が付属している大学だ。遊学学園は幼稚舎から大学まであり、そこに通う生徒数・学生数も桁外れに多い。
「警察に何回も行ったのに、何もしてくれなかったから、自分で殺した…?」
 謎事が仮説を言ったが、真実が口を挟んだ。
「その可能性も無くはないけど、まだその女性が犯人って決まったわけじゃないんでしょ?」
「ええ、もちろん。いま、被害者のバイト先などでのトラブルを調べているそうです」
「ふぅん…」
 真実がクッキーの最後の1枚を口に入れ、食べながら呟いた。
「警察って、色々調べなきゃいけないから、大変だねー」

 その日の夕方、午後6時過ぎ。兜と猫山は揃って遊学学園大学の敷地にいた。都心から離れたこの大学は、外から見ると周りを雑木林に囲まれて、中に何があるのかよくわからなかった。だがひとたび中に入れば、ガラス張りだったりデザイナーズマンションのようだったりする建物が、何棟もひしめいていた。正門近くの案内板を見ると、どうやら20以上の建物があるらしいことがわかる。だが決してゴミゴミした印象はなく、建物同士の間隔が広く、開放的である。このキャンパスは文系の学部のみが置かれているようで、ガラス張りは主に教育学部の学科が、デザイナーズマンションは主に経営学部の学科が入っているようだ。
 兜は案内図の中から、テニスコートを探し出した。正門からそう遠くない、文学部史学科の建物のすぐ隣にそれはあった。
「しかし、なんでもあるな、この大学は」
「日本でも指折りの学生数を誇る大学っすからねえ」
 ちなみに、兜らが現在捜している人物……ストーカー被害者の井上千波は、経営コンサルタント学科であり、テニスサークルに所属している。この時間なら、彼女はテニスコートにいるに違いない、と踏んでやってきた。
 テニスコートが近づいてくると、案の定活動中であり、「ファイトー!」「ヤーッ!」といった男女の掛け声が聞こえてきた。パコン、パコン、とボールを打つ音が、距離に反比例するように大きくなる。
 余談だが、音の大きさは音源からの「距離」ではなく「距離の2乗」に反比例するため、この「距離に反比例するように大きくなる」という表現は誤りである。
 距離の2乗に反比例する音がすっかり大きくなったところで、兜らは足を止めた。テニスコートの入り口からジッと中を見る。果たして井上千波は捜査に協力してくれるだろうか、などと考えながら。
 不審な中年男2人に気付き、入り口近くにいた女子大生がチラリと兜を見た。栗色のポニーテールにピンクのポロシャツ、白いスコートには遊学学園の校章が小さく、しかし目立つ位置についていた。薄い唇と小振りな胸が、清楚な印象を与える少女だ。これは運がいい、と兜は思った。
 彼女こそ、井上千波だ。
「井上千波さんですね?」
「えっ? ええ……」
「我々はこういうものです」
 兜はスーツの内ポケットから、警察バッジを取り出した。
 井上千波の丸い目が、さらに丸くなった。
「ちょっと隅の方でお話、伺えますか?」

「えっ、死んだんですか?」
 石黒の死を伝えると、千波が小さく驚きの声をあげた。部員たちが、遠巻きに3人を見ているのがわかる。心なしか、やや掛け声が小さくなったように思える。
「そうですか。…良かった」
 ホッとしたように呟いた。
 兜それを聞いて、思わず眉をひそめた。確かに自分を付け回していたストーカーが死ねば、ホッとするだろう。だが、人の死を喜ぶ人間を見るのは、嫌な気こそすれ良い気分にはなれない。
 そんな兜の内情には気付かず、千波はしばし何か考えるような表情をしたあと、首を傾げ、上目遣いに訪ねた。
「でも、どうしてわざわざ私に? ストーカー被害者だからですか?」
「それもありますが、死因が問題でして」
「?」
「殺されたんです、彼」
 えっ、と千波は息を呑んだ。
「どうして?」
「現在調査中です」
 淡々と答える。もっとも、詳しいことはまだほとんどわかっていないのだから、教えたくても教えられないのだが。
「それで、先週の金曜の夕方6時以降、どこで何をしていたか伺いたいのですが」
「私を疑ってるんですか?」
 低い声で、千波が答えた。兜の顔を覗き込むように睨み付ける。兜は頭をかいた。まさか、最有力容疑者だとは言えない。
「我々は、被害者に関係のある人物は全員疑っています」
 とだけ伝えた。
 千波は意外にも素直に睨むのをやめ、
「先週の金曜…」
 あごに右手を当てて、考え始めた。今日は水曜だから……と何やらブツブツつぶやいている。火、月、日、土、金。5日前の自分の行動を思い出すのには、なかなか時間がかかるだろう。猫山なら、昨日の夕御飯も覚えていない。
「金曜なら、毎週サークルをやってますから、たぶん先週も…。家に帰ったのは8時ぐらいだと思います」
「大学を出たのは何時ごろですか?」
「7時過ぎです。いつもそのぐらいにサークルが終わるので」
 すると、大学から家まで1時間ぐらいということか。確かに井上宅の住所は、ここから電車で1時間程度の場所である。
「家に帰ってからは?」
「ずっと家にいました」
「それを証明できる人は? 例えば、誰か訪ねてきた、とか」
 千波は首を振った。サラサラのポニーテールが左右に揺れる。
「……覚えてません。でもたぶん、誰も訪ねて来なかったと思います。あ、でも、父がすぐに帰ってきました。それからはずっと、家で父と2人きりでした」
 家族の証言では、アリバイの証明にはならない。逆に言えば、父親にもアリバイがないことになる。
「お父さんが帰ってきた時間、もう少し正確にわかりますか?」
「え?」千波は一生懸命思い出そうとしたようだが、「覚えてません。本当にすぐ帰ってきたと思うんです。ストーカーが恐くて、家に帰るときは必ず父に連絡するようにしていて……。だから、いつも私が家に帰るとすぐに父も帰ってくるんです」
「そうですか」
 兜はまだ、父親には会っていない。警察の記録によれば、確か名前は明人(あきと)だったか。ごく普通の商社に勤めるサラリーマンだったはずだ。
「お父さんに、駅まで迎えに来てもらったりしないんですか?」
 猫山が尋ねた。千波は少し驚いたように猫山を見て(どうやら、ずっと喋らないと思っていたようだ)、答える。
「ええ、まぁ…。駅から家は近いですし、それに父は車通勤なので」
 車通勤ならなおさら駅まで迎えに行き、車に乗せた方が安全じゃないだろうか。猫山は思ったが、警察と民間人の安全基準は違うのかもしれない。口をつぐんだ。
 再び、兜が口を開く。
「では、何か思い出したらこちらに連絡ください」
 名刺を取り出して千波に渡した。思っていたより協力的だ。何か思い当たる節があれば、きっと連絡をくれるだろう。何かあれば、の話だが。
 ではこれで、と兜と猫山は千波に会釈し、コートの出口――先ほど千波を見つけた付近――に向き直った。が、数歩あるいた所で「あ、そういえば」と振り返った。
「今日はサークル、何時に終わりますか?」
「え? いつもと同じなら、7時過ぎぐらいだと思いますよ」
「そうですか。ではこれで」
 今度こそ、兜と猫山はコートから出て行った。

 その後、兜と猫山はまず大学の警備室へ向かった。千波の証言の裏を取るためだ。兜はこの大学に入るときに、門が見える位置に監視カメラがあるのに気付いていた。おそらく全ての出入り口にカメラがあるのだろう。ならば、千波が大学を出た正確な時間が割り出せる。
 警備室で警察バッジを見せ、監視カメラの映像を見させてもらう。果たして、先週金曜の夜7時12分、千波たちテニスサークルの部員の姿が映っていた。
「テニスコートの使用許可が夜7時までなので、いつもみんな、この時間に帰ってるようですね」
 と警備員の男性が言った。
「サークル活動は何曜日にやってますか?」
「いつだったかな……」警備員は首を傾げて考え込み、脇にあるファイルを取り出した。テニステニス、と言いながらファイルをめくる。
「ああ、木曜と日曜以外は全部使用許可を出してますね。ただ、使用許可を出してるだけで、実際やってるかは別ですが」
 それからしばらく警備員に話を聞き、兜たちは大学を後にした。

 兜と猫山は車を走らせながら、井上宅へ向かっていた。無論、千波の父親・明人の話を聞くためだ。
 電車では1時間ほどかかるようだが、道なりのせいだろうか、車では40分足らずで井上宅についた。駅から歩いて1〜2分の住宅街の中に、その家はあった。2階建ての1軒屋。玄関横の駐車スペースと思われる吹きさらしのガレージは、伽藍としている。
 ちなみに、石黒のアパートひなた壮は、ここから歩いて10分以上かかる川の向こうにある。駅から見れば、井上宅、川、ひなた壮の順に、間隔を空けて並んでいることになる。無論、この川とは、メイが石黒の死体を発見したあの川の上流である。
 車を降りると、兜たちは玄関のチャイムを鳴らした。が、無反応。
「ま、そうかもな」
 兜は腕時計を見て言った。午後7時。千波がサークルを終えた時間であり、今頃千波が明人に電話をかけている頃だろう。千波の電話を受けてから帰るのが明人の習慣となっていれば、今の時間はまだ帰っていなくて当然である。
「おい、猫山。このまま明人が帰ってくるまで車で待つぞ」
「へい」
 2人が車に戻ると、猫山は車を少し動かした。井上宅から数メートル離れた所で、車体を道路脇ギリギリまで寄せて止める。井上宅に背を向けるように駐車して、ルームミラーで井上宅の門を監視した。
 なお、2人の乗っている車はパトカーではなく、覆面パトカー……見た目は一般の車である。道路脇に止まっていても、目立つことはない。
「しかし警部」と猫山。「直接明人の会社に行った方がよかったんじゃないっすかね?」
「なんでだ? 時間短縮のためか?」
「それもありますが、このままでは千波が明人に電話をしたとき、口裏を合わせる危険があります」
 兜は火の点いてないタバコをくわえ、ひと息吸うジェスチャーをした。禁煙しようという意思が、少なからず認められる。
「それは問題ない」
「どうしてっすか?」
「口裏を合わせるということは、2人とも犯行に関わっているということだ。事件発生から既に5日が経過してるのだから、口裏を合わせるならとっくにやってるはずだ」
 だから、いまさら慌てて明人のもとに向かう必要はない。
「ああ、なるほど」
 猫山がうなずくと、車内に沈黙が訪れた。
 ここは駅から近い住宅街だ。何分かに1度、後ろから人がやってきては、兜たちの横を通り過ぎていく。兜たちの背後に駅があるからだ。夜中でも割と人通りが多い場所のようである。
〔……殺害がこの時間だとすれば、何か見た人間がいるかもしれないな…〕
 むろん、近所の聞き込みは他の刑事達が総力をあげてやっている。目撃者がいれば、いずれ出てくるだろう。
 それからしばらくして、千波が帰って来たのがミラー越しに見えた。こちらには気付かずに、門を開けて家に入っていく。
「もうすぐ8時か……」
 相変わらず、火の点いてないタバコを口にくわえている。
 さらに数分後、1台の車が2人の車の横を通り過ぎ、井上宅のガレージに入っていった。明人に違いない。2人は車を降り、井上宅に近づいた。
 ちょうどガレージに着いたとき、そこから明人が出てきた。明人は突然目の前に現れたスーツの男2人に驚き、面食らった顔をした。
「井上明人さんですね?」
 と兜が聞く。明人は数瞬迷ったあと、「ええ、そうですが?」と訝りながら答えた。
「我々は警察です」と、胸の内ポケットから警察バッジを取り出す。「ちょっとお話、良いですか?」
 すっかり日が沈み辺りは暗くなっていたが、ちょうどガレージの横に街灯があり、3人を明るく照らした。兜の彫りの深い顔も、明人のこちらを探るような顔も、よく見える。
「用件はですね、娘の千波さんのストーカーについてです」
「え?」その言葉に、明人が身を乗り出した。「ようやく対策してくれるんですか?」
「あ、いや、それがその…」
「……なんですか? まさかまた、気のせいじゃないかとか言うつもりですか?」
 わざわざ出向いてまで、とぼやくように言った。兜は頭を掻いてから、
「お嬢さんのストーカー対策について、我々がお2人のご希望に添えなかったことは、お詫び申し上げます」
 と頭を下げた。
「ですが、本日の本題はそこではありません。実は……」
 兜は少し言いよどんだ。図らずもどこかの誰かが“ストーカー対策”を施した事になるのだ。警察の面目丸つぶれ、どころの騒ぎではない。
「そのストーカーが先週、遺体となって発見されました」
「……はい?」
 明人がやや間抜けな声を出した。
「何故?」
「殺されたんです」
「えっ…誰に?」
 娘とそっくりの反応をする父親だな、と猫山は思った。
「わかりません。現在捜査中です」
 と兜は答えた。このやり取りも本日2度目だな。
「そうですか…」
 明人の体から力が抜けるのがわかった。緊張感が無くなったようだ。誰だって突然警察が訪ねて来たら、後ろめたいところが無くても緊張するだろう。それは兜も猫山も良くわかっていた。
「じゃあ、死んだんですね、ストーカー」
「はい」
「…良かったです」
 兜は再び、苦虫を噛んだような顔になった。
「……つきましては、何かご存知のことがあれば、是非教えて欲しいのですが」
「…知ってるわけないでしょう」
 明人の声が低くなる。兜の顔をにらみつけた。
「奴は一方的に娘を付け回していただけです。私たちは彼の事をほとんど何も知らない。どこの誰なのかも、何故娘を付き回すのかも」
 次第に顔も険しくなってきた。これはヤバイな、と猫山は思った。
「そもそも、警察は私たちを助けなかったのに、我々が警察を助ける理由がありますか。仮に犯人を知っていても、あなた方には話しません」
 そりゃそうだよな、と猫山は思った。彼らにとっては、むしろ警察より犯人の方が恩人だ。
 これ以上話を続けると、空気が悪くなる一方だ。それがわかっていても、兜は聞かないわけにはいかない。ちょうど通行人がやってきて、3人の方をチラリと見たのを、兜は気配で感じた。
「では1つだけお聞かせください。先週金曜の夕方6時以降、あなたどこで何をしていましたか?」
「私を疑うんですか!?」
「被害者の関係者全員にお尋ねしています」
「私は殺してない!」明人は兜を睨みつけた。「むしろ私が殺したかったぐらいだ!」
 通行人が、ギョッとしてこちらを振り向いた。明人の形相を見、兜と猫山の平然とした顔を見、怖くなったのか、それとも都会人の他者との関わりを避ける癖なのか、通行人は再び前を向いて、歩き出した。
 明人は通行人の視線も気にせずに、乱暴に2人の間をすり抜けると、門を開けて、家に入っていった。

Countinue

〜舞台裏〜
ちょっと書き方に戸惑っているキグロです。こんにちは。
真実「なんで戸惑ってるのよ?」
いつもと違うパターンだから?
真解「疑問形で答えんなよ」

さて、そんなわけでようやく容疑者らしい人物が現れました。
真実「なんか、お兄ちゃん抜きでどんどん話が進んでるんだけど」
大丈夫。今回、真解は最後の最後で美味しい所を持って行きます。
真解〔それだとボク、嫌な奴みたいじゃないか?〕
真実「お兄ちゃんだから大丈夫!」
真解〔そうなのか?〕

謎事「今回は、千波さんや遊大の描写が多かったな」
お、気付いたね。
真解〔気付くも何も〕
こんな感じでいいのかなぁ、と首を捻りながらの執筆が続いているのですが、どうなのでしょう。他の小説を読みながら参考にしたりもしているのですが。
謎「今後は、わたし達の描写もさらに増えていくのですか?」
その予定です。でも、ボクの中で固まってる部分もあれば、決めかねてる部分もあって、どうしようか悩んでます。
真解「例えば?」
例えば、メイちゃんのメガネのデザインとか。候補がいくつかあるものの、どれにしようかまだ決まってない。
真実「……気分で付け替える、ってことにしたらどう?」
………。その発想はなかった。それ採用。
謎「えっ」

ではまた次回。

作;黄黒真直

推理編

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