摩訶不思議探偵局〜孤独な針〜 主な登場人物
実相真解(みあい まさと)…【探偵】
実相真実(みあい まさみ)…【探偵】
相上謎事(あいうえ めいじ)…【探偵】
事河謎(ことがわ めい)…【探偵】
江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)…【フリージャーナリスト】
溝呂木重三(みぞろぎ じゅうぞう)…【歴史研究家】
三木大介(みき だいすけ)…【学芸員】
ハル…【江戸時代の和算家】
マスク…【怪盗】
アシスト…【マスクの助手】


孤独な針〜依頼編

 風呂上り。実相真実(みあい まさみ)はドライヤーで髪を乾かすと、目にかかる前髪を栗色のカチューシャで留めた。普段はヘアピンで留めているが、家では飾り気の無いシンプルなカチューシャで留めている。自分の髪と同じ色のカチューシャは、頭につけるとほとんど目立たない。
 部屋着のホットパンツとキャミソールを着る。脱衣所を出ると、自室へ向かった。
 実相家は、少し変わった構造をしている。真実は自分の家を「3階建てだ」と主張しているが、真実の双子の兄、真解(まさと)は、それはウソではないが本当でもないと思っている。この家は、「中二階のある2階建て」なのだ。そして、その中二階に真実の自室がある。
 ドアを開けて中に入ると、目の前の壁際に2段ベッドと2脚の勉強机、そして明らかに趣味の異なるマンガが置いてある。ここは、真解と真実、2人の部屋なのだ。
「お兄ちゃん、お風呂開いたよ」
 2段ベッドの下段に寝そべりマンガを読んでいる真解に、真実は告げた。真解は「ああ」と気の抜けた返事をした。特に起き上がる様子は無い。マンガをキリの良いところまで読もうとしているのだろう。見ると、あと数ページで終わりそうだ。
 2段ベッドを挟むように置かれた2脚の勉強机のうち、向かって左側が真実の机である。広い机の上には、勉強道具のほかに、デスクトップPCの巨大な液晶ディスプレイが鎮座している。
「そんなところにパソコン置いて、勉強する気になるのか?」
 と、父親に言われたことがある。当然、真実は即答した。
「なるわけないじゃん」
 父親は金魚のような顔になったあと、すぐに真実を叱り飛ばした。しかし、定期テストの結果がいつも真解よりも優秀なため、いつの間にかパソコンの鎮座を黙認するようになった。……どうやら真実は、授業を1回聞くだけで、内容を全て覚えてしまうようだった。
 パソコンの前に座り、ネットでもやろうと真実はパソコンのスイッチを入れた。
 ちょうどそのタイミングで、真実のケータイが震えた。液晶の表示には、「江戸川乱歩」とある。
 江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)。言うまでも無く、かの有名なミステリ作家……ではなく、それと同姓同名の、フリージャーナリストの名前である。とある事件で遭遇して以来、時々真解達に事件のネタを持ってくる。どうやら、真解達に事件を解決させ、その内容を記事にしているらしい。記事はどこかの雑誌に持ち込み、それで収入を得ているようだ。
 彼女から電話が来たということは、何か事件を持ってきたのだろう。それは、ネットよりも何倍も楽しいはずだ。真実は期待に胸を膨らませながら、電話に出た。
「はい、もしもし」
『あ、真実ちゃん? 久しぶり!』
 明るくハキハキした江戸川の声。落ち着いてはいるが、なんだかテンションが高い。
「今度はどんな事件ですか?」
 早く事件の話が聞きたくて、真実は無駄な会話を省いた。江戸川もそのつもりのようで、意気揚々と言った。
『さっき連絡があったんだけど、私の知り合いのところに、届いたらしいのよ』
「何がです?」
 江戸川の回答を聞いた真実は、目を輝かせ、声を上げた。
「犯行予告状!」
 マンガを読み終えた真解が、顔をしかめさせながら起き上がった。

 眼鏡を取ると美人、という使い古された設定がある。「本当は可愛いのに、自分の可愛さや、自分の魅せ方を理解していない、天然な女の子」というキャラ付けに使われる。可愛いのに、その可愛さを利用することが無いので、男としては安心するのだろう。
 江戸川乱歩は、それと似て非なる人物であった。
 真実が電話を受けた次の日。土曜日である今日は、真解たちの学校は休みである。それを知っている江戸川は、昼過ぎには真解と真実の部屋を訪れた。
「久しぶりね、みんな!」
 そう言って現れた江戸川は、女マフィアのような格好であった。肩までの黒髪、女性らしくない無骨な黒いサングラス。黒いタンクトップとパンツ。その上に、茶色い革ジャンを着ていた。小さな口や鼻を収める面長な輪郭は美人であることを示唆していたが、サングラスがその印象をぶち壊しにしている。ジャンパーの下にナイフでも持っていそうである。喩えるなら、花の咲いたサボテンのような美人だ。美しいが、近付こうものなら物理的に血を流す。
 江戸川は視線を落とした。部屋の中央に置かれた座卓の周りに、4人の中学生が座っている。入り口の目の前に座っていたのは、ところどころ跳ねたショートカットが特徴的な、Tシャツにジーンズ姿の男の子、相上謎事(あいうえ めいじ)である。髪は蛍光灯の光を受けて、わずかに茶色く光っている。染めているわけではなく、地毛らしい。
 真上から江戸川に見下ろされ、謎事は思わず体を避けた。別に睨まれたわけではないが、思わずすくみ上がったのだ。
「ありがと」
 と言って江戸川は、謎事が退いて出来たスペースに正座した。サングラスを取って、革ジャンのポケットに突っ込む。サングラスがなくなると、示唆されていた美人が現れた。サボテンの花が、月下美人の花になったようだ。
 余談だが、月下美人はサボテン科である。
 座卓の上には、コップが5つ置いてあった。真実は空いているコップに、ペットボトルから麦茶をついで、江戸川に渡した。
「それで、マスクからの予告状が来たんですよね?」
 真実が、目を輝かせながら聞いた。その左目の上では、流星を模ったヘアピンが輝いている。胸元にデフォルメされたネコ(何故か箱に入っている)がプリントされたノースリーブのTシャツに半袖のパーカーを羽織り、ショートパンツを穿いている。まさにこれから夏の流星群でも見に行こうかと言う格好である。こんな格好で言ったら、虫に食われること受けあいだが。
 江戸川は麦茶を少し飲むと、黒いバッグから1枚のプリントを差し出した。
「これが、マスクの予告状のコピー」
 江戸川の差し出した1枚の紙を、真実が受け取った。真解たち3人も、横からコピーを見る。A4サイズのコピー用紙には、便箋が写っていた。そこに、手書きのようなフォントで書かれたワープロの文字が並んでいる。
 真実が言った「マスク」とは、もちろん仮面のことではない。自ら「マスク」と名乗る、現代の怪盗のことだ。世界中で、美術品や歴史的価値のある物品を盗んで回っていて、当然、世界的な有名人物である。真解たちは、過去に2度、マスクの犯行に居合わせている。1度目は偶然に、2度目はマスク直々の挑戦を受けて。そして今回が3度目の対決となる。
 怪盗ならば当然、正体不明、不得要領、神出鬼没かと思いきや、意外とそうでもない。マスクはもともと、イギリスで活躍していたマジシャンだったのだ。そのときのプロフィールが確かならば、マスクに関しては多くのことがわかっている。
 まず、女である。素顔こそ明らかになっていないが、マジックの間中、声や体型を変えていたのでなければ、確実だ。背の高い、スレンダーな女である。
 ただし、マスクには超人的な変装の技術があることがわかっている。老若男女、いかなる人物にも変装できてしまうのだ。だから、もしかしたら男なのでは……とも言われているが、だとしたらそれはもはや男ではなく、オカマである。
 次に、弟がいる。しかもその弟は、アシストと名乗り、マスクとともに怪盗業を営んでいる。残念ながら、弟に関しては、そこまで詳しいことはわかっていない。マジシャン時代のマスクの言葉が正しいのなら、美男であることは確かなようだ。
 そして、日本人とイギリス人のハーフらしい。これはマスクが自らそう言っていただけなので、真偽のほどは定かではない。ただしマジシャン時代から流暢な日本語を話していたので、日本にゆかりがあることは確かなようだ。
 このほか、将来は日本に住んでみたいとか、アンティークが好きだとか、スルメが好きだとか、インタビュアーに明かしたプロフィールは、様々ある。
「えーっと」真実がコピーの文面を読み上げた。「和算家ハルの遺した暗号のナゾが解けた。ついては、来る土曜日の夜10時、彼女の遺産を頂く。怪盗マスク」
 ハテナ、と4人とも首を傾げた。マスクの出す予告状はいつも標的の所有者に向けて書かれているので、部外者が読むと意味不明なことが多い。他人宛の手紙を読んでいるのだから、わからなくて当然だ。電車の中で、赤の他人の話す、赤の他人の噂を聞いているようなものである。
 そこでまずは、謎事が聞いた。
「最初の、この、わさん…か? って、なんだ?」
 聞かれて江戸川は、メイを見た。
「メイちゃん。説明してあげて」
「えっとですね……」
 メイは右手で、眼鏡のふちを少し掻いた。今日のメイの眼鏡は、白いブリッジのノンフレームである。学校にかけて来ている眼鏡は黒板が見えるように度が強く、普段は少し弱めの眼鏡をかけている。五線譜が模られたテンプルには、ト音記号と二連音符が踊っている。服装は白いワンピース。そこにはクリーム色の小さな刺繍の花がいくも咲いていた。その上にさらさらとした黒髪が川のようにかかり、庭園のように綺麗だ。
「和算というのは、日本独自の数学のことです」
「日本独自? え、じゃあオレ達が習ってる数学って、外国じゃ使えないのか?」
「あ、いえ、わたし達がいま習っているのは、和算ではなく洋算なので大丈夫です」
「そもそも数学は、世界どころか宇宙共通言語だから、使えないって事は無いわよ」
 横から真実が突っ込みを入れた。
「和算が日本で使われていたのは、明治の初め頃までです。その頃、小学校でいまわたし達が習っている洋算を教えるようになり、和算は衰退していきました」
 ですが、とメイは続ける。
「今でも全く使われていないわけではありません。小学校で鶴亀算とか旅人算とか、習いましたよね? あれは和算の中で生まれた問題です」
「ふぅん」と謎事。「じゃあ、この和算家ってのは、今で言う数学者って意味なのか?」
「そうですね」
 メイが頷いたところで、真解が本題に入った。
「それで、江戸川さん」
 童顔をメイから江戸川に向ける。カジュアルな白いワイシャツに、青いネクタイを緩く締めている。あとは黒いジーンズ。シンプルな服装だ。真実いわく、「素材の味が引き立つファッション」らしい。
「説明をお願いします。ハルって、誰なんです? そもそもこの予告状を受け取った人は、何者なんですか?」
「予告状を受け取ったのは、私の知り合いの歴史研究家、溝呂木重三(みぞろぎ じゅうぞう)博士。彼のご先祖様に、ハルと言う女性の和算家がいたのよ」
「女性の和算家なんて、珍しいですね。算法少女ですか」
 と、メイが言った。横から謎事が「そうなのか?」と尋ねる。
「江戸時代ですから、女性が学問に邁進するなんて、考えられなかったんですよ」
「ふぅん?」と謎事は首を傾げた。ピンと来ていないようだ。
「ま、とにかく」と江戸川。「そんな社会的事情もあって、ハルは優秀な和算家ではあったけれど、周囲にはあまり認められてなかったらしいわ。子孫である歴史研究家が言うんだから、間違いないでしょう」
 確かにそれは十二分に信用できる情報だ、と真解は思った。
「っていうか、江戸川さんはどうして、歴史研究家なんかと知り合いなんですか?」
 真解の質問に、江戸川はフフンと不敵に微笑んだ。ナイフが出てきそうで怖い。
「ジャーナリストにとって、人脈は命よ」
 そんなことより、と江戸川は続ける。
「そのハルさんが若い頃、ある暗号文を残したのよ。その暗号文は溝呂木博士の家に現在まで保管されているのだけど、その暗号のナゾが解けた者は、ハルの遺した財宝が手に入るらしいわ。マスクの言う遺産ってのも、たぶんその財宝のことね」
「それはつまり……」と真解。「その暗号が、ハルの財宝の隠し場所を示しているとか、そう言うことですか?」
「たぶんそうね」
 マスクの予告状には、「暗号が解けた」とある。つまり、財宝の隠し場所がわかったから盗りに行く、と言う意味か。
「どんな暗号なんですか?」
 と真実が聞いた。暗号といえば、数学である。高度な数学の理論を使って作られた最先端の暗号が、世の中にはいくつもある。なら和算家が作った暗号は、当然和算の知識が活かされているに違いない。
「それがねー」と江戸川は腕を組んだ。「わけがわからないの」
「そりゃまあ」と真解。「暗号ですから、わかったら意味がないですよね」
「そういう意味じゃないんだけどね」
 ならどういう意味なのか。真解たちは説明を求めたが、
「実際に見てもらうしかないわね」
 江戸川はそれだけ言って、立ち上がった。
「いま、私はその暗号を持ってないから、実際に溝呂木博士に見せてもらいましょう。さ、行くからみんな立って」
「え、あの」とメイが戸惑いがちに言った。「いまから行くんですか?」
「当然」
 だろうな、と真解は思った。
 マスクの予告状には、「来る土曜日」と書いてある。来る土曜日……つまり、今日だ。

 江戸川は、免許は持っているが車は持っていないようだ。フリージャーナリストという収入の安定しない職業、しかも母子家庭なので、あまり高価なものは買えないらしい。そのような家庭だと子どもはグレてしまいそうだが、江戸川の娘はグレることなくすくすくと育っている。ちなみに彼女の娘、真澄は、真解たちの同級生だ。
 実相家から電車で1時間。
「さあ着いた!」
 と江戸川が見やった先には、白い大きな家があった。
 辺りは住宅街。築5年か10年くらいの真新しい家が経つ中で、目の前の家だけは30年は経っているようだ。白い塀に囲まれた敷地は、辺りの家の敷地よりやや広い。2階建ての白い家の横に、薄汚れた灰色の小さな倉があり、そこだけ妙に浮いていた。
 江戸川は門の横にある呼び鈴を鳴らした。カメラ付きのドアフォンだ。門も、ステンレス製の普通の門である。
「なんか、普通の家だね」
 と真実は真解に耳打ちした。歴史研究家の家と言うから、古風な日本家屋を想像していたのに。
 しばらく待つと、玄関のドアが開いて、1人の初老の男が現れた。四角い顔に、白髪がたっぷり乗っている。ワイシャツに横縞のベスト姿で、よたよたとした歩みだ。
「お久しぶりです、溝呂木博士!」
 江戸川が手を振ると、老人も手を振り返した。彼が今回、マスクからの予告状を受け取った歴史研究家のようだ。
「こっちは、想像通りだね」
 と真実は真解に耳打ちした。
 溝呂木は「いらっしゃい」と微笑みながら門を開けた。するとそこで初めて気がついたように、訝しげに真解たちを見下ろした。白いまつげを生やした細い目を、少しだけ開く。
「あ、この子達は」江戸川が説明する。「私が呼んだ助っ人です。こっちから、真解くん、真実ちゃん、謎事くん、メイちゃん」
 紹介され、4人は小さく会釈した。「助っ人?」と溝呂木は、値踏みするように4人を見る。それから江戸川に顔を寄せ、
「助っ人になるのかね?」
「あら、もちろんですよ、博士」
 フフン、と江戸川は笑ってみせる。
「彼らは今までに2度、マスクの犯行現場に居合わせています。そして2度とも、彼女の犯行を阻止しています!」
 ほぅ、と溝呂木は感嘆の声とともに、真解たちを見た。先ほどと目つきが変わっている。値踏みをしていたのに、高価な骨董品でも見るような目だ。
「江戸川さんが言うなら、信じましょう。どうぞ、お入りください」
 溝呂木が5人に背を向けて歩き出す。その後に続きながら、真解が江戸川に言った。
「随分信頼されてるんですね、江戸川さん」
「なんかね」江戸川が小声で言う。「どうやら私のことを、マスク研究の第一人者みたいに思ってるみたいなの」
〔マスク研究って……どういう意味だ?〕
「もしかしたら、刑事と勘違いされてるのかも」
「なんでまた?」
 江戸川は腕を組んで首をひねった。
「私がマスクが盗んだ物について、あれこれ質問したからかしら?」
「質問って……」どういう意味ですか、と聞こうとしたところで玄関を通され、靴を脱いだり応接室に通されたりしている間に、聞く機会を逸してしまった。
 家の中も、見た目と違わず普通の家だった。普通と言いがたいのは、綺麗な応接室があるところくらいだろうか。漆塗りのケヤキのテーブルが真ん中に置かれ、3人掛けソファと肘掛け椅子がそれを挟むように置いてある。真解と真実、江戸川が3人掛けソファに座り、謎事とメイが肘掛け椅子にそれぞれ座った。
「歴史研究家の家! って感じだね」
 部屋の中をキョロキョロ見渡しながら、真実が言った。応接室にはガラス戸の付いたアンティークな書棚があり、そこに骨董品らしき壷や置き物が置かれていた。
〔むしろ、田舎のお婆ちゃんの家って感じだな〕
 と真解は思った。
 応接室の扉が開いて、溝呂木が入ってきた。手にしたお盆の上には、コップが6つと大きな透明の水差し。水差しには麦茶が入っていて、表面に水滴が付いていた。冷え冷えである。
 お盆をテーブルに置くと、
「飲んでいてください。少々お待ちを」
 と溝呂木はまた部屋を出て行った。
 メイが立ち上がって、水差しから麦茶を注ぐ。6つ全てに麦茶を注いだところで、銘々が勝手にコップを取った。
 溝呂木はすぐに戻ってきた。左手に大学ノートを持ち、右手でキャスター付きの椅子を引いていた。
「お待たせしました」
 テーブルの横に椅子を置いて、そこに腰掛ける。大学ノートを開いて、挟んであった便箋を取り出した。
「これが、マスクの予告状です」
 1時間前に見せてもらったコピーと、全く同じ便箋が、テーブルの上に置かれた。やはり手書きのようなフォントで、同じ文面が書いてある。
『和算家ハルの遺した暗号が解けた。ついては、来る土曜日の夜10時、彼女の遺産を頂く。怪盗マスク』
「あ、溝呂木博士」と江戸川。「ここへ来る前に、私が昨日ファックスしていただいた物を、既に彼らに見せました」
 すると溝呂木は目を瞬いたあと、
「それは失礼」
 と頭を下げた。
「ちなみに」真解が尋ねた。「その予告状は、いつ届いたんですか?」
「えーと、水曜日だ。大学から帰ってきたら、ポストに入っていた」
 それから大慌てで方々に連絡を取ったと言う。主に、いままで暗号を見せた人物、暗号が解けそうな人物、そしてマスクについて詳しそうな人物だ。
 それで、過去にマスクについて質問してきた江戸川に、連絡を取ったわけか。真解は納得した。
「マスクは暗号が解けたと書いている」溝呂木は予告状の文字をなぞった。「しかし、儂はまだ解けていない。だから、財宝がどこにあるか、そもそも財宝とはなんなのかもわからない。それでは、マスクから財宝を守ることが出来ない」
 予告状を見ていた視線を上げ、真解たち4人の顔を見渡す。
「警察にも連絡したが、そもそも財宝がどこにあるのかわからなければどうしようもないと言われ、途方に暮れていたのだ」
「ご安心ください、博士!」
 と真実が胸を張った。どうやら「博士」という響きが気に入ったらしい。そこだけ妙に力が入っている。
「お兄ちゃんが、暗号なんてたちどころに解いて、マスクから財宝を守って見せます!」
 胡散臭い、と真解は思った。
「解けるかどうかはわかりませんが、ひとまず暗号を見せていただけますか?」
 わかりました、と溝呂木は答えた。それから、大学ノートをぱらぱらめくる。
「実はいま、実物は近所の博物館に貸し出し中でね」
「そんな有名な和算家なんですか?」
 真実が身を乗り出すように聞いた。
「そう言うわけではないが……いまその博物館が、和算家の特別展を開いていてね。それでうちにも貸してくれるよう依頼が来たんだ」
「コピーとかないんすか?」と謎事。
「古い紙だからね。コピーみたいな強い光を当てると、痛むことがあるんだよ」
 と、そこで溝呂木は大学ノートを繰る手を止めると、真解たちの方にページを向けた。
「その代わり、はい。これが、ハルの遺した暗号の、現代語訳だよ」
 真解たち4人は、ノートを覗き込んだ。明朝体のような角張った字が綴られている。ノートを持つ溝呂木の細い手と、なんとなく似ていた。
 そこには、こうあった。


 私がその物の怪に出会ったのは、三月ほど前の事だ。
 父に頼まれ、医学の古い書物を取りに倉へ入ると、奥の方で小さな物音がした。初めは鼠だと思ったが、鼠の足音とは異なるようにも思った。
 私は恐る恐る音のする方へ近づいた。蝋燭で照らしてみると、そこには一本の針が立っていた。高さは一寸(約3センチ)ほど、太さは髪の毛ほどの白い針が、飛び跳ねるように動いている。
 不思議と恐怖は感じなかった。針が私の存在に気付かなかったからかもしれない。私は頼まれ事も忘れ、針に見入った。
 針は下の方が細く、上に行くほど太かった。手足はついていない。針は体をわずかにくねらす事で、飛び跳ねているようだ。円を描くように回ったり、自分の背丈よりも遠くまで跳んだりしていた。私にはそれが、舞を踊っているように見えた。そして、たった一本で舞を踊る針が、ひどく寂しそうに見えた。
 それから数日間、私は毎日針を見に行った。針はいつも一本だけで、倉の奥の狭い隙間で、私以外誰も見ない舞を踊っていた。
 ある日私は、針が最初より太くなっていることに気がついた。それも、上の方ほど太くなっているようだ。横から見ると、ちょうど広げた扇子のような形に、膨らみつつあるようだった。
 いきなり太くなったのだろうか。それとも、少しずつ膨らんでいたのだろか。
 好奇心に駆られた私は、針を指先で摘んだ。それまで体をくねらせていた針は、驚いたように身を硬くした。私の指の力では、わずかに曲げることすら難しそうだ。
 私は近くに置いてあった古い本を取ると、紙に針を刺した。針が通り抜けると、紙に小さな穴が開いた。針を床にそっと戻すと、針は一跳びで物陰に隠れた。
 次の日、私は針に会えるか不安に思いながら、倉の奥へ入った。
 そこには、いつものように針がいた。私は針を摘み上げると、昨日通した穴に、針を刺した。しかし、針は通り抜けなかった。
 針は、毎日少しずつ太くなっているようだった。
 それから一月が経つと、針は手で握れるほどに太くなった。しかし下の方は細く、上の方ばかり太くなっていた。
 二月で、針は半球になっていた。以前は元気に飛び跳ねていたのに、今は体を引きずるように這い回っている。もしかしたら、何か病気なのではないだろうか。だが物の怪の病気など、私にはわからない。
 三月が経つと、針は白い鞠になった。そして、全く動かなくなった。拾い上げると、鞠は見た目よりも重く、私は手を滑らせて落としてしまった。茶碗を落とした時のように、鞠は二つに割れ、細かい破片が飛び散った。
 破片は皆、同じ形をしていた。長さは一寸ほど、太さは髪の毛ほど。私は破片を数本、摘み上げた。観察すると、それは死んだ針であることがわかった。
 そのとき私は悟った。針は太くなっていたのではなく、集まっていたのだ。たった一本で寂しく踊っているように見えていたが、それは私の勘違いであった。
 針は、孤独ではなかったのだ。



 まずメイが読み終わり、顔を上げた。続けて真解と真実が同時に顔を上げ、最後に謎事が顔を上げた。
 全員の顔には、同じ言葉が書いてあった。

『なにこれ?』

 真解はおずおずと溝呂木を見て、第一声を発した。
「えっと……これは、暗号なんですか?」
「儂もよく分からないのだがな」麦茶を一口啜る。「その暗号のナゾが解けた者は、ハルの遺した財宝が手に入るらしい、と伝わっているのだよ」
 真解たちは困惑顔で、互いの顔を見やった。
 暗号と言えば、代表的なのは換字式暗号である。例えば「あ」を「い」と書き、「い」を「う」と書く、などのように、50音表で一文字ずつずらして行く方法だ。この方法では、例えば「まさと」は「みしな」になる。
 真解たちはそう言うパズルのような暗号を想像していたが、これはどう見てもその類ではない。
「たしかシャーロック・ホームズに」とメイ。「一見普通の文章に見える暗号文の中に、三角法を匂わすキーワードが隠されていて、そこから敷地内の財宝の隠し場所が計算で弾き出せる……というものがありました」
「三角法?」と謎事。
「三角比のことね」と真実。
〔いや、わかんねぇよ〕
 謎事は突っ込みたかったが、真実が話を進めた。
「ならこの暗号文も、ハルの住んでた家のどこかを指し示してるってことね。博士、ハルの住んでた家って、どこなんですか?」
「ここだよ」
 溝呂木の返事に、「えっ……」と真実は固まった。ここって、この、どう考えても築30年のこの家ですか。ハルはそんなに近代の方だったのですか。
「この家を建てる前まではハルの住んでいた家が建っていたんだが、さすがに崩壊の危険があったのでな。改築した」
「な、な……」
 だん! と真実はテーブルを叩いた。
「なんてことするんですか!?」
「安心せい」
 真実の勢いに気圧されることなく、冷静に溝呂木が答える。
「暗号文に『倉』と書かれておるだろう。倉はまだ、当時のまま残されている」
「でも、暗号文に倉があるからって、倉に財宝があるとは限りませんよ! 倉を起点として、どこかを指していたのかもしれないじゃないですか!」
「落ち着け、真実」
 口を挟んだのは、真解だった。
「溝呂木博士。逆に聞きますが、この家には、倉以外に当時から残っている建物はありますか?」
「いや」溝呂木は首を振った。「ない」
「それじゃあ、ハルの財宝は失われてるかも……」
 真実が唇を震わせるが、真解は落ち着いて首を振った。
「いや、逆に『財宝は倉にある』と考えられる」
「どうして?」
「ハルが仮に倉以外のところに財宝を隠していたのだとしたら、どこにどう隠そうとも、家を取り壊した時点で必ず見つかるはずだ。爆破でもしない限りな」
「あ……」
「もちろん、ショベルカーとかの機械で取り壊したのなら、見落とす危険もあるけど……そこは、注意してましたよね?」
 やや自信なさ気に溝呂木に尋ねると、溝呂木は自信たっぷりに頷いた。
「当然。儂もその頃には既に歴史家だったし、ハルの暗号文も読んでいた。ハルの物に限らず、この家に残っていた物は全て、回収してある」
 な、と真解は真実を見やる。良かったぁ、と真実は胸を撫で下ろした。
「じゃあ早速」と真実。「倉に行きましょう。博士、案内してください」
 麦茶を一気に飲み干すと、立ち上がった。真解たちもそれに続く。
「どうぞ、こちらです」
 溝呂木が歩き出した。

Countinue

〜舞台裏〜
男の子の描写はごくわずかで、女の子の描写がやたら長いところに、私の性格が垣間見えるなぁ、と思ったキグロです。こんにちは。
真実「どんな性格よ?」
外出中は、女の子の服しか見てないんです。
真実「……変態」

服と言えば。
真実「まだ引っ張るの?」
まあ聞いてよ。服と言えば、真解たちの服装を描写しようとしてふと思ったのは、「摩探の季節って、いつなんだろう」ってことですね。
謎事「そういえば、季節感ねぇよな」
特に季節を限定しなくても成立する話ばかりだからね。それで悩んじゃったのですが、一思いに『摩探』の季節を決めました。
謎事「いつだ?」
実は既に、「ハートの奪い合い」の中で、季節を特定できる描写があるのですよ。
謎「ありましたか?」
真実のセリフに、「及川さんは、これから受験勉強をする」って言い回しがあるでしょ。
真実たちは中学3年生。それが「これから」受験勉強をするってことは、少なくとも夏休み前と考えられる。
謎事「お、なるほど」
それでいて、澪くんは学ランを着ていた。学ランは冬服。だから、まだ衣替え前だと考えられる。
謎事「っつーことは……」
『摩探』は5月か6月の、初夏の話だと考えられるわけです!
謎事「おおー!」
……って言うことに、さっき気が付いた。
真解〔考えて書いてたわけじゃないのかよ!〕
この時期だと暑い日も寒い日もあるので、書いてる時の気分……と言うか気温に合わせて、夏服を着せたり冬服を着せたり出来るのではないかと思います。
というかもう、いっそ開き直って「サザエさん方式」で行こうかとも思ってます。どちらになるかは、今後の気分次第。

はい、そんなわけで今回は、VSマスクの第三弾です。
謎事「実は2回しか出てなかったんだな、マスク」
そうなんだよねぇ。って言うか摩探って、キャラがやたら多いせいで、サブレギュラーがほとんど出てないんですよね。兜警部とか、江戸川さんとかは出てるけど。
真実「『ハートの奪い合い』に出てきた育覧ちゃんも、『ハートの奪い合い』が3回目の登場でしょ」
うん。で、登場回数が少ない上に、3年以上のブランクがあるため、若干マスクの設定が変更されていたとしても、気付く読者はいないでしょう。
謎「……変わってるんですか?」
というか、マスクに限らず、他のキャラも微妙に設定が変更になっています。
真解〔いいのか?〕
まあ、かの有名なシャーロック・ホームズでさえ、時々設定が変わったって言うし。それへのオマージュだと思えば!
謎「ちなみに、読んだことはあるんですか?」
『まだらの紐』をマンガで。
謎「マンガ……」
真解たちでさえ、3年の間に私の中で「熟成」されているので、微妙に設定が変わっています。
ま、3年もあれば成長するよね!
真解〔ボクらにとっては3ヶ月と経ってないんだけど〕
ついでに言うと、今回ついに、いつも物語冒頭に書いていた「セリフ」も書かなくなりましたが、たぶん誰も気付かなかったでしょう。
真実「あ、本当だ」
っつーか、なんで書いてたのか、自分でもナゾだ。

ではまた次回。

作;黄黒真直

おまけのif〜もしもメイちゃんが一休さんだったら
謎「和尚様、それは……?」
和尚「はっ、一休!」
和尚〔まずい、水あめを舐めているところを見られた! 儂が夜な夜な水あめを舐めてるなんて、弟子達に知れたら……!〕
和尚「あ〜、一休、これはだな、く、薬じゃよ」
謎「薬、ですか?」
和尚「そうじゃ。甘い薬なのじゃが、一休のような子どもには、ほんのちょっとの量で死んでしまう猛毒なのじゃ。だから、決して舐めてはいかんぞ?」
謎「甘い、薬……。それでいて、わたし達のような子どもには猛毒……」
和尚「そ、そうじゃ。みんなにも、そう言っておいてくれ」
謎「つまりその薬は、イントロジェルミンですね」
和尚「……な、なんじゃと?」
謎「すると和尚様は、ヒコツッカス症候群だったのですか……? あの難病の……」
和尚「あ、ああ……」
謎「それなのに和尚様は、そんな素振りを少しも見せず、わたし達に接してくださって……和尚様の苦労に気が付かず、申し訳ありませんでした」
和尚「い、いや、その……儂が悪かった」
 イントロジェルミンも、ヒコツッカス症候群も、キグロがいま考えた言葉です。

捜索編を読む

本を閉じる inserted by FC2 system