摩訶不思議探偵局〜孤独な針〜 主な登場人物
実相真解(みあい まさと)…【探偵】
実相真実(みあい まさみ)…【探偵】
相上謎事(あいうえ めいじ)…【探偵】
事河謎(ことがわ めい)…【探偵】
江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)…【フリージャーナリスト】
溝呂木重三(みぞろぎ じゅうぞう)…【歴史研究家】
三木大介(みき だいすけ)…【学芸員】
ハル…【江戸時代の和算家】
マスク…【怪盗】
アシスト…【マスクの助手】


孤独な針〜捜索編

 余談だが、ホワイトハウスが白いのは、戦争で黒く煤けた壁を隠すために白く塗ったからである。その歴史を今に伝えるため、一部の壁は黒く煤けたままだという。
 溝呂木家にある倉は、どうやら本来白かったようだ。塀の外から見たときは灰色の倉だと思ったが、近くで見ると単に汚れているだけだと分かる。
 倉は高さ4メートル、縦横3〜4メートル程度の建物だった。漆喰の壁に、鉄の扉がはまっている。扉には閂(かんぬき)と、それを留める錆び付いた銅の錠前。溝呂木は錆びた鍵を錠前の穴に挿し、一回転させた。ガチリ、と硬い音がして、錠前が外れる。
 扉が開くと、中からひんやりとした空気が出てきた。午後2時、気温は最も高くなる時間だが、倉の中は涼しいようだ。
「暗いんですね」
 中には電灯がなかった。4つの壁に1つずつ、小さな窓が付いている。そこから入ってくる光だけが、倉の中を照らしている。そういえば、暗号の中の「私」も、蝋燭で倉の中を照らしていた。
 真解たちは手にした懐中電灯を点けた。6つの光が、雑多に物が詰め込まれた倉の中を照らした。
「ここにあるのって、全部江戸時代のものなんすか?」
 謎事が振り返って尋ねる。溝呂木は首を振り、
「いや、儂らの私物もかなり混ざってる」
「儂、ら? 他に誰か住んでるんすか?」
「住んでいた。儂と妻と、子ども達3人。だが子ども達はみな家を出て、妻も5年前に向こうに逝った」
 特に気にする様子もなく、溝呂木は告げた。謎事は「そうすか……」とだけ答えて、倉の中を再び見た。
 確かにこの倉の中には、どう考えても最近のものがいくつも入っている。三輪車、家庭用のブランコ、自転車、車のタイヤ、何に使ったのかわからないプラスチックの板、などなど。
 真解たちは倉の中に入り、銘々勝手に捜索を始めた。比較的広い倉だが、物が多く、足の踏み場がほとんどない。それに、埃っぽい。
「メイちゃんは外で待ってた方がいいんじゃねえか?」
 謎事がすぐ隣で和箪笥を開けようとしているメイに言った。
「どうしてです?」
「汚れるぞ、その服」
 メイは自分の服を見た。白いワンピースに黒いタイツ。倉の中は埃っぽく、既にところどころ灰色になっていた。
「私だけ外で待っているわけにもいきませんので」
 とメイは再び和箪笥に取り掛かった。立て付けが悪いようで、なかなか開かない。謎事も手伝って、引き出しを引っ張る。何度か瞬間的に力を加えることで、ようやく引き出すことが出来た。
 中から出てきたのは、畳まれた着物であった。敷き詰められた菱形が描かれている。一見して、相当古いものだとわかる。
「それは、ハルのものらしい」
 後ろから溝呂木が言った。
「それならこの和箪笥も、ハルさんの時代からあるものですか?」
「ああ、そのようだ」
 メイと謎事は顔を見合わせ、それから和箪笥の引き出しを開け始めた。もしかしたらここに、何かヒントがあるかもしれない。
 和箪笥からは、着物や布団ばかり出てきた。その多くが、虫に食われた痕があり、物によってはボロボロになっていた。歴史家の持ち物だと言うのに、保存状態はあまりよくないようだ。
「なんかヒントありそうか?」
「さあ、わたしに聞かれましても……」
 出てくる着物は、女物もあれば男物もある。サイズもまちまちだ。一家族分の和服が入っているようである。
「そういえば」
 メイは振り返って、2人の様子を見ていた溝呂木に尋ねた。
「ハルさんの父親は、お医者さんだったんですか?」
 彼女の遺した暗号文は、父に頼まれて医学書を取りに行くところから始まっている。暗号文の「私」がハルのことならば、ハルの父親は医者と言うことになる。
 しかし溝呂木は首を振った。
「ハルの父親は、医者ではなかったようだ」
「あ、そう……なんですか」
「だが、ハルの舅は医者だったようだ」
 謎事が小さく、シュウトってなんだ、とメイに尋ねた。夫の父親のことです、とメイは答えた。
「すると、ハルさんの旦那さんも医者だったんですか?」
「ああ。ハルは14の時にこの家に嫁いできたらしい。そして、幼い頃から好きだった和算の勉強を、この家でも続けた。……もっとも、周りの人間はあまり、歓迎しなかったようだがな」
「そうなんすか?」
 やっぱりピンと来ないようで、謎事は首を傾げていた。
「……そして16の時。ハルはあの暗号文を書いた」
 なら、暗号文の「私」はやはりハルのことなのだろうか。それとも、まだ幼かったであろう自分の子どもを主人公にして書いたのだろうか。
 謎事とメイは2人で話し合ったが、結局分からず、あとで真解に伝えよう、と結論した。

 一方、真解と真実は、2人で倉の奥へと突き進んでいた。
 邪魔なベビーカーをどかし、縄跳びに足を引っ掛け、巻物の雪崩を起こしながら、ひたすら前へ。
 辿り着いた頃には、2人とも埃だらけになっていた。
「お兄ちゃん、頭に蜘蛛の巣が」
 腕を伸ばして、真実は真解の頭を払った。
 それから、自分の頭も少し払い、流星の形のヘアピンを一度外して、付け直す。
「針はいるかな?」
〔いるわけないだろ〕
 2人で倉の奥を照らした。
 倉の中はほぼ正方形だ。縦横ともに3メートル以上あり、かなり幅広い。が、箪笥やら襖やら丸まった掛け軸やらわけのわからないガラクタやらが置かれていて、奥の床も壁も見えなかった。
「針いないね」
〔いたらビックリだよ〕
 心の中で、真解は突っ込む。
「あ、お兄ちゃん、これってもしかして」
 と、真実が奥に両手を伸ばした。持ち上げたのは、木製の収納箱である。大きさは鳥かご程度。埃が積もっている。真実が息を吹きかけると、目の前にいた真解向かって埃が舞い上がった。
「げほっ、ごほっ!」
 真解が思わず咳き込む。
「殺す気かっ!?」
「わたしの愛で生き返るから大丈夫」
「どういう意味だよ!?」
 真解の怒りも我関せず。真実は、近くにあったダイヤル付きの赤いテレビの上に箱を置くと、蓋を開けた。
「ほら、やっぱりこれ、裁縫箱よ」
〔埃を吹いた意味は?〕
 ない。
 真実が開けた箱の中には、針や針刺し、鋏などが入っていた。金属はどれも錆び付いている。側面に付いた引き出しを開けると、細かい布が出てきた。
「確かに暗号文には針が出てきたけど」まだ咳をしながら真解。「だからって裁縫箱に財宝があるとは、考えにくいと思う」
「やっぱり短絡的かな? でも見てこの鋏。江戸時代っぽくない?」
 真実が取り出したのは、現在のような2枚歯の鋏ではなく、U字型の和鋏だ。真実が握ると、カシカシと乾いた音がした。
「だからなんだ」
「別に、なんでもないけど……」
 真実は上目遣いに真解を見た。真解は肩をすくめてから、また1つ咳払い。
「ちょっと、外の空気吸ってくる」
 と言って、真実に背を向けて歩き出した。
 ガラクタを除けつつ外へ向かうと、ちょうど倉の真ん中に、江戸川が突っ立っていることに気が付いた。懐中電灯を上に向け、天井を睨んでいる。
「なにやってるんですか?」
「あら真解くん」
 江戸川が明かりを真解に向ける。真解は腕で顔を覆った。
「私、思ったんだけど」江戸川は再び、明かりを天井に向けた。「ハルって江戸時代の人でしょ? そんな昔から隠されているのだから、普通に隠したんじゃ、とっくに見つかってると思わない?」
「それもそうですね」
「と言うことは、普通ではない場所に隠したということ。それはどこか?」
「……倉の天井?」
「そ♪」
 真解もつられて、天井を見上げた。
 倉の天井までは、4メートル近い高さがあった。三角の屋根を支えるように、梁が渡されている。暗い上に距離もあるので、細かくは観察できない。例えば財宝が小さな宝石だったとして、それを天井の梁に埋め込むように隠してあったら、こうして見上げていても決して発見できないだろう。
 天井までの中間の位置には、現在で言うところのロフトが付いている。よく見ると、そこへ登るための急な階段があった。あそこへ登れば、何か見つかるかもしれない。
「行ってみましょうか」
「そうですね」
 真解と江戸川は、ガラクタをかき分けて階段へ向かった。

 ほとんど梯子と言って差し支えない急な階段。その先は、幅3メートル、奥行き1メートルほどの細長いロフトだった。この急な階段を登る必要があるため、あまり大きなものは持ち込めないのだろう。ロフトには、ボロボロの本やガラス瓶、小さな壷などが置かれているだけだった。
 江戸川もロフトを見たいというので、先に上っていた真解は、恐る恐るロフトに足を乗せた。木製の古いロフトは、乗るとギィ、と軋んだ。
〔板が抜けたりしないよな……?〕
 思わず四つん這いになる。
 江戸川が顔だけ出して、ロフトを見渡す。
「特に、財宝と言えるものはなさそうね」
「こんなところにあったら、それこそとっくに発見されてると思います」
「それもそうね」
 あっさり認めた。
「あ、そういえば、江戸川さん」
 ふと思い出したことがあった。
「さっき、溝呂木博士にマスクの盗んだものについて質問した、って言ってましたよね? どうしてです?」
 江戸川は、キョロキョロとロフトの上を見渡しながら、淡々と答えた。
「別に、深い理由はないわ。ただ、最近のマスクは美術品だけじゃなくて、骨董品も盗むようになってたから、それがどのくらい価値あるものなのか、尋ねたのよ」
「どのくらい価値があるものだったんです?」
「微妙なところね」
 江戸川は革ジャンのポケットから赤い手帳を取り出した。手帳には、付箋が大量に貼ってあった。手帳に付箋が貼ってあるのか、付箋に手帳が挟まっているのか。後者だと言われても、信じてしまいそうだ。
〔あんなに大量に貼ったら、付箋の意味ないんじゃないか?〕
 だが江戸川は、どこに何が書いてあるのか覚えているようで、一発で目当てのページを開いた。
「一番高いものは、一億」
「いちおっ……!」
 声が裏返る。いや、真解たちも過去に何度か、億単位の金が絡む事件に遭遇したことがある。大富豪の遺産をめぐる事件とかだ。だから、全く実感の湧かない金額と言うわけではない。
「ちなみに、安い方は?」
「ゼロ」
「はい?」
「価値なし、ってことね。どうやらマスクは、世間的な価値とは無関係に、自分の価値観で物を盗んでいるみたい」
 マスクは盗んだものを闇市場に売ってお金を得ているのだと思っていたが、どうやら違うようだ、と真解は思った。
〔それとも、高価なものは売って、本当に欲しいものは手元に残しているんだろうか?〕
 どのみち、マスクが盗むのは、必ずしも価値あるものではないらしい。
「マスクって、今までどんなものを盗んできたんですか?」
 真解たちがマスクと遭遇したのは、過去2回。そのときは、それぞれ絵画と真珠を盗もうとしていた。
「色々」江戸川が手帳をめくりながら答える。「真解くんも知ってる通り、美術品を盗むことが多いけど、たまに化石とか剥製とかも盗むわね」
「……博物館にでも忍び込んだんですか?」
「ご名答。美術館から科学博物館まで、マスクは色んなところに盗みに入ってるわ。たぶん、相当な博覧強記なんでしょうね」
 博覧強記、と言えばメイだ。真解はロフトから下を覗き込んだ。眼下では、メイと謎事が服を埃だらけにしながら、なにやら古い巻物を広げていた。

 倉の中を1時間以上捜索したが、結局ハルの財宝らしきものも、そのヒントとなりそうなものも見つからなかった。やはり江戸川が言ったとおり、簡単に見つかる代物ではないのだろう。
「やっぱり、暗号を解かないとダメなのよ!」
 服に付いた埃を払いながら、真実が力んだ。倉に入った6人は一様に、服を汚している。メイはポケットからハンカチを取り出して、白いワンピースの埃を払う。倉の作る影に入りつつ、倉を見上げる。
「マスクは7時間後には来てしまいますからね」
 時刻は午後3時。マスクの予告は夜10時だ。
「でもよ」と謎事。「江戸時代に書かれたのに、いまだに誰も解けてないんだろ? それをたった7時間で……」
 最後の方は尻すぼみになりながら、謎事は真解を見た。できるか? と目で聞く。どうだろうね、と真解は肩をすくめた。
「しかもボクらが見たのは、現代語訳だ。もしかしたら、原語に当たらないと解けないかもしれない」
 真解は溝呂木に向き直った。
「さっき、本物は博物館にあるって仰ってましたよね? その博物館に案内してもらえますか?」
「わかった」溝呂木は二つ返事で答えた。「連れて行こう」

 県立の小さな博物館に、ハルの暗号文は託されていると言う。溝呂木の家からは、車で30分ほどの場所である。白いワゴン車に6人が乗り込み、溝呂木が運転した。車中で、溝呂木はハルについて説明した。
「ハルは、和算が最も活発な時期に生きていた」
「関孝和とかの時代ですか?」
 真ん中の列から、真実が身を乗り出した。真実は和算に関しては詳しくないようだったが、和算家の代名詞である関孝和の名前くらいなら知っているようだ。
 溝呂木は小さく首を左右に振った。
「その、百年くらい後かな。江戸時代後期、浅間山噴火の少し後だから、寛政の改革の頃だな」
 いつだ、と謎事は思った。
 助手席に座る江戸川が、冷房の風を浴びながら言った。
「200年くらい前ですか。そんなに昔に書かれたんですね、あの暗号文」
「そうだ。200年間誰も解けなかった暗号を、マスクは解いた」
「すげえ頭良いんだな、マスクって」
 一番後ろの席で、謎事が言う。その隣では、メイが眼鏡を拭いている。倉に入ったときに埃が付いたようだ。眼鏡をかけ直すと、呟くように聞いた。
「マスクはいつ、暗号を見たんでしょう?」
「確かにそうだな」と真解。「もしかしたら何年も前に見ていて、最近やっと解けたのかもしれない。溝呂木博士、いままで暗号を見せた人って、誰だか覚えていますか?」
「うーん……」首をひねる。「知り合いの歴史家には、ほとんど見せている。30人…いや、40人くらいかな」
「……」
 マスクとアシストには、超人的な変装の技術がある。もしかしたら、いままで暗号を見せた人の中にマスクがいたのかも……と思ったが、これでは絞り込めない。
 そもそも、現在博物館に展示されているのだ。マスクはそこで見た可能性もある。
「ちなみに」と真解。「江戸川さんは、いつ見たんですか? 今日うちに来たときには、既に見たことがあったみたいですが」
「2週間くらい前ね。溝呂木博士のお宅を伺って、マスクの盗品について質問したのよ。そのときに」
 割と最近見せてもらったんだな、と真解は思った。
「もっとも、読めなかったけど」
「どうしてっすか?」
「あんな崩した文字、読めるわけないでしょ」
〔現代語訳じゃなくて、本物を見たわけか〕
「もちろん、現代語訳も見せてもらったけど」
〔何故ボクの心が読める〕
 溝呂木の家を出てから、窓外にはずっと住宅街が続いている。代わり映えのしない風景が続いていた。よく見ると家が徐々に古くなっていることがわかるが、その程度だ。
 瓦屋根が目立つようになって来た頃、溝呂木が車の速度を落とした。
「着いたぞ」
 住宅二軒分くらいの広さの敷地に、平屋の建物があった。壁一面に黒っぽいタイルが貼られ、ところどころ白いタイルが貼ってある。塀には、「日本の数学 〜和算〜」と書かれたポスターが貼ってある。
 敷地に入ると、すぐ目の前に建物の入り口があった。半円の自動ドアの横に、「日本の数学 〜和算〜」と書かれた垂れ幕が下がっている。
 入り口の前を通り過ぎ、駐車場に入る。狭い駐車場には、車が1台もなかった。溝呂木は入り口に一番近いところに、ワゴン車を停めた。
「人気ないのかな?」
 真実が真解に尋ねた。そもそも歴史博物館などに来るのは、社会科見学の小学生か歴史好きだけだ。住宅地の一角にある小さな博物館では、そのどちらも寄り付かないのだろう。
 入り口のドアを潜り抜ける。中は冷房が効いていて涼しかった。ロビーらしきその部屋は、教室の半分くらいの広さで、無人の受付といくつかのベンチが置いてあった。受付の上には、料金表が載っている。常設展示は無料だが、企画展示は有料のようだ。小学生以下は無料、中学生以上は一律300円。
「誰かいるのかな?」
 真解は受付の前に立った。受付の奥に扉があるので、その向こうに誰かいるに違いない。しかし、呼び鈴のようなものは見当たらない。
 キョロキョロしていると、突然扉が開いた。中から出てきたのは、40歳くらいの痩せた男だ。ネクタイを外したスーツ姿、色白い肌。男はぎこちない笑みを浮かべた。
「こんにちは、ようこそいらっしゃいました」
「あ……どうも」
 いきなりの登場に真解は咄嗟に対応できず、中途半端に頭を下げた。何故突然出てきたのか。ふと見ると、天井にカメラを発見した。あれで受付の様子を見ていたのだろう。人気がない割に、無駄な経費がかかっている。
 男の胸元には、「学芸員 三木大介(みきだいすけ)」と書かれたネームプレートが付いていた。
「おや、三木さん」
「お久しぶりです、溝呂木さん」
 三木はやはりぎこちない笑みを浮かべたまま、溝呂木に頭を下げた。表情はぎこちないが、口調ははきはきしている。どうやら、ぎこちない表情はただの癖のようだ。
「ここにいる6人全員、企画展示を見させていただきたいのだが」
「はい、1800円になりますね」
〔お金は取るんだな〕
 溝呂木なら無料で見せてもらえそうなものだが。
 溝呂木はズボンのポケットから薄い財布を取り出すと、千円札を2枚取り出した。それを受け取ると、三木は受付の下でごそごそと手を動かし、6枚のチケットと2枚の百円玉を取り出した。
「では、ごゆっくりどうぞ」
 手のひらで、ロビーの先にある通路を示した。
 ロビーの先の通路は、入ってすぐに二股に分かれていた。左側が常設展示、右側が企画展示だ。真解たちは、迷わずに右側の通路に入った。数メートル歩いたところで自動ドアをくぐると、小学校の体育館くらいの広さの部屋に出た。
 ここが企画展示室だ。
 入り口のすぐ横には、「日本の数学 〜和算〜」と書かれた看板が立ててある。部屋には間仕切りがいくつも立てられ、通路を作っていた。間仕切りには和算の歴史について書かれたプレートが吊るされ、その下にガラスケースが置かれている。中には本や、木製の板などが置かれている。そろばんもあった。
「……なんか、静かだね」
 真実の声が、部屋に吸収された。
 展示室には、真実たちのほか誰もいなかった。照明も薄暗いので、なんだか寂しい。かすかに冷房のファンの音が聞こえるだけだ。
「まあ、話し声が迷惑にならなくて、いいんじゃないか?」
 そう言って真解は、先陣切って歩き出した。後ろから真実たちが続く。
 通路に沿って進むと、プレートに書かれた時代が過去から現在へと移り変わっていく。最初に目に付いたプレートは、奈良時代であった。
「奈良時代!」
 真実が頓狂な声を上げる。
「そうですよ」
「ひゃぁっ!」
 背後から聞きなれない声をかけられ、真実は飛び上がった。振り返ると、三木が立っている。
「普通、和算といえば江戸時代のものを指しますが、日本の数学として記録に残っているのは、古くは奈良時代……万葉集にまで遡ります」
「個別指導してくださるんですか?」
 江戸川が尋ねる。江戸川の格好にも臆することなく、三木は笑みを浮かべたまま答えた。
「はい。……他に観覧される方もいらっしゃらないので」
 少し寂しげに三木。真実は上目遣いで三木を見て、
「ぜひぜひ、教えてください!」
「はい、喜んで」
 理系少女として、真実は和算に興味を示したようだ。謎事や、意外にも溝呂木は興味なさ気だが、他はそうでもなさそうである。特に真解は、そこに暗号を解くヒントがあると考えたのか、真実以上に真剣な様子である。
「万葉集はご存知ですか?」
「はい、現存する日本最古の歌集ですよね。成立は奈良時代の末期。飛鳥時代から読まれてきた歌を、4500首以上集めた歌集です」
 さすが、授業内容を完璧に暗記している真実である。基本データはすらすらと出てくる。知識の深さで言えばメイが上だが、記憶力が自慢の真実は、一度聞いた雑学は全て覚えている。
「万葉集に、こんな歌があるんです」
 と、三木が綺麗な声で歌を詠んだ。
「若草の 新手枕(にひたまくら)を まきそめて 夜をや隔てむ 憎くあらなくに」
 聞かされたところで、真解達には意味がわからない。目を白黒させた(メイは元々知っていたようで、無表情のままだった)。
「いまのは、この歌です」
 と、三木がプレートを指差した。そこには、
『若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國』
 と書かれていた。
「ここに、『二八十一』とあるでしょう? これで、『憎く』と読むんですよ。9×9は81ですよね。九九八十一……だから、『八十一』と書いて『くく』と読むんです」
「へぇ」
 ようやく謎事も興味を持ったようである。
「他にも、『十六』と書いて『しし』と読んだり、『二五』と書いて『とお』と読んだりもするんです」
 6人とも、一様に感心しているようである。
「ところで、いまの歌はどういう意味なんすか?」
 謎事が聞くと、隣に立っていたメイがわずかに顔を伏せた。
「そこに書いてありますよ」
 ぶっきら棒にそれだけ告げると、メイは1人で通路を先に進み始めた。
「え、おい、メイちゃん」
 謎事が後に続き、真解と真実も顔を見合わせて、先に進み始めた。
 江戸川は一瞬だけプレートを見て、意味を確認した。メイのウブさにくすりとして、江戸川も子ども達の後を追う。
 ちなみに、いまの歌はこういう意味だ。
『若草のように美しい妻とせっかく初夜を過ごせたというのに、もう旅立たなくてはいけないのか。あんなに可愛いのに、何夜も会えなくなるなんて!』

 奈良時代、平安時代、鎌倉時代……と、通路を進むごとに時代が進んでいく。三木の説明は見事に聞く人の興味をあおり、場を盛り上げた。人に物を教えるのに長けた人間のようである。
 1時間以上かけて、ようやく江戸時代まで辿り着いた。
「あったぞ、これだ」
 溝呂木がガラスケースを覗き込む。そこには、墨で長々と文章が綴られた和紙が、額縁のようなものに収められていた。
「あっ」
 と真解が言った。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「いや……なんでもない」
 真解はいま、自分達の目的を思い出したのだ。三木の話が面白くて、ついつい忘れてしまっていた。自分達は、マスクの犯行を阻止するため、ここにいるのである。
 誤魔化すように、真解はガラスケースを覗き込んだ。江戸川が言ったとおり、そこには崩し字が躍っていて、とても読めたものではない。額縁の横には、この文章がハルの暗号であることと、現代語訳が書かれたプレートがある。しかし、そんなものを見ても自分達の情報は増えない。
「溝呂木さんは、当然読めるんですよね?」
「無論だ」
「ではすみませんが、これ読んでくれますか? もちろん、古語で」
「わかった」
 溝呂木は1つ咳払いすると、ハルの書いた原文を読み始めた。

Countinue

〜舞台裏〜
というわけで、力ずくでハルの財宝を探す捜索編でした。キグロです。
真実「で、この中に財宝はあるわけ?」
さぁ? そんな重要なことは言えません。

今回は特に書くネタもないので、ちょっとした昔話を。
真実「昔話?」
あれは何年前になるんですかねぇ……。
VSマスクの第1弾を書いた後、第2弾を書くまでの間に、『逆転裁判3』というゲームが出まして。
謎事「ああ、あったな」
驚くべきかな、その中に「仮面マスク」と言う名前の怪人が登場するのです!
真解「……」
謎「……」
何が言いたいかと言うと、パクリじゃないですよ!! 「マスク」の名前はボクが先に使ったんですよ! と言うことです。
偶然って怖いです。

ではまた次回。

作;黄黒真直

おまけのif〜もしも真解が一休さんだったら
真解「あれ、お城の前の架け橋に、看板が立ってますね。えっと、『このはし、わたるべからず』……?」
和尚「なんと、困ったの。お城に行くには、この橋を渡るしかないのに……」
真解「それは本当ですか、和尚」
和尚「もちろんだとも」
真解「お城に行くには、この橋を渡らないといけない。しかし、この橋は渡れない」
和尚「そうじゃ」
真解「なら、このお城に住んでいる人たちは、どうやって外に出るのでしょうか?」
和尚「………お?」
 真解は「推理」が出来るだけなので、トンチやナゾナゾは意外と苦手そうな気がします。

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