摩訶不思議探偵局〜孤独な針怪盗事件〜 主な登場人物
実相真解(みあい まさと)…【探偵】
実相真実(みあい まさみ)…【探偵】
相上謎事(あいうえ めいじ)…【探偵】
事河謎(ことがわ めい)…【探偵】
江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)…【フリージャーナリスト】
溝呂木重三(みぞろぎ じゅうぞう)…【歴史研究家】
三木大介(みき だいすけ)…【学芸員】
ハル…【江戸時代の和算家】
マスク…【怪盗】
アシスト…【マスクの助手】


孤独な針〜変装編

 時刻は午後8時を過ぎた。展示室の清掃を終えた三木は、1人事務室に戻った。6畳ほどの広さの事務室には、質素なテーブルや椅子、備え付けの流しや冷蔵庫などがある。
 学芸員の仕事は多い。展示室に立ち、展示品の説明をするだけが学芸員の仕事ではない。そもそも何を展示すれば良いかを知るためには、あらかじめ深い知識を得ておく必要がある。そのための勉強も、仕事のひとつだ。そして、展示するためには蒐集しなければいけない。その蒐集と保存・管理もまた、学芸員の仕事である。
「良い仕事だなぁ」
 掃除道具を片付け、伸びをすると、三木は言った。
「森羅万象あらゆる知識を得て、資料を蒐集し、保存・展示する」
 事務室の椅子に腰掛け、床に置かれた金属の檻を見た。ひとが1人、すっぽりと入ってしまうサイズの巨大な檻だ。そこに体育座りしているスーツ姿の男がいる。三木は、その男の顔を見つめた。
 男は手と足を縛られ、口には猿ぐつわをされている。身動きひとつできず、声を上げることも出来ない。さらに、目には目隠し、耳には耳栓がつけられている。こうすると外界の様子が一切分からないため、隙を見て助けを呼んだり逃げ出したりすることも出来ない。
「学芸員の仕事って、俺たちの仕事に似てるかもしれないな、三木さん」
 と言っても聞こえないのか、と椅子に座った三木はクククと笑った。
 檻の中には、三木がいた。椅子に座る三木と、全く同じ顔……いや、逆だ。
 椅子に座る三木の方が、檻の中の三木に似た顔を作っているのだ。
 この三木は――夕方に真解たちに和算を解説し、いま展示室を掃除してきたばかりの三木は――言うまでもない。マスクの弟、アシストの変装だった。
「もぞもぞ動いてるのは、逃げ出そうとしてるからか?」
 三木の顔をしたアシストは、立ち上がって檻に近づいた。
「今晩、俺と姉貴がハルの財宝を盗む。そしたらあんたは解放してやる。安心しろ」
 と言っても聞こえないんだったな、とアシストはクククと笑った。

 事態が急変したのは、その数分後のことだった。
 ピンポン、と事務室の呼び鈴が鳴った。博物館には観覧客用のエントランスのほかに、スタッフ用の裏口がある。資料を運び入れたりするのも、主にそちらだ。裏口には呼び鈴があり、それが鳴ったらしい。
 三木の仕事の関係者ではないだろう。こんな時間に来るとは思えないし、今日は誰も来る予定がないことは事前に調査済みだ。
 もちろんアシストの関係者でもない。来るには早過ぎる。
〔とすると、あの子らが俺か財宝の正体に気付いたか〕
 アシストは三木の入った檻を軽々と抱えあげると、事務室の隣室である倉庫に入れた。さらに上から布を被せる。それからやっと、事務室の電話を取って呼び鈴に応じた。
「すみません、お待たせしました。どちら様でしょうか?」
『警察です』
 おおっと。アシストは少し驚いた。真解が呼んだのだろうか。しかし、警察が来るのは想定の範囲内。自分達の計画になんら支障はない。プランAをBに切り替えるだけだ。
「どのようなご用件でしょうか……?」
 ややぎこちない口調で答える。相手の警察の声には、聞き覚えがあった。たしか真解と親交のある刑事だ。殺人担当のはずだが、何故しゃしゃり出ているのだ。
『溝呂木重三博士のもとに、怪盗マスクから予告状が届いたことは、ご存知ですね?』
「ええ。今日も当博物館にいらっしゃいましたよ。暗号を解こうとなさってました」
『そのとき一緒にいた子ども達を覚えていますか? 彼らが暗号を解いて、財宝の在り処を突き止めました』
「えっ」アシストは8割演技、2割本気で驚いた。「解けたんですか?」
『はい』子どもの声がした。やや幼さの残る男の子の物。真解の声だ。『そしてそれは、いまこの博物館にあるんです』
「ええっ」アシストは10割演技で驚いた。「それは、なんですか?」
『その前に確かめたいことがあるので、入れてくれませんか? マスクから財宝を守るためにも、是非』
 アシストとしては断りたいところだが、三木としては断れない。それに、こうなることも想定の範囲内。プランB続行。アシストは迷わず即答した。
「わかりました。少々お待ちください」

 裏口を開けると、昼間に来た6人と、加えて10人近い人間が立っていた。新たに加わった人間のうち、先頭の2人だけがぴしっとスーツを着ている。2人のうち年齢の高そうな方の男が、スーツの内ポケットから特徴のある身分証明書を取り出した。
「初めまして。警視庁捜査一課の兜剣(かぶと つるぎ)です」
 彫りの深い渋面。屈強そうな体つき。いかにも刑事だ。
 一方、もう1人のスーツの刑事は丸顔で童顔だった。20代に見えるが、提示された身分証明書を見ると、その生年月日は30年以上前であった。名前は猫山検事(ねこやま けんじ)。おいおい就く職業を間違えたんじゃないかい、とアシストは思った。
 兜、猫山に続き、ぞろぞろと初対面の男達が室内に入ってくる。全員刑事だと兜が告げた。その男達の後ろから、四角い顔の老博士とマフィアのような格好の女、そして子ども達4人が入る。白いシャツにカジュアルなネクタイをつけた男の子が最後に入り、後ろ手にドアを閉めた。ドアノブに付いたつまみを回して鍵をかけ、ご丁寧にチェーンまでかける。
 6畳ほどの事務室に20人弱の人間が入ると、さすがに足の踏み場もない。立って半畳寝て一畳……と長い黒髪の少女が呟いた。だがすぐに、溝呂木と刑事たちはぞろぞろと部屋の外に出た。展示室へ向かったらしい。
「それで」アシストはぎこちない口調で尋ねた。「ハルの財宝とは、何なのでしょうか?」
 スーツのような服を着た真解は、口元をゆがませ、ニヤリ、と笑った。
「三木さんはもう、わかってるんじゃないですか?」
「え?」
「少なくとも、かなり真相に肉薄したところまで気付いている……そう思いますけど?」
 もしかして、自分がアシストだと気付いているのだろうか。あり得る。だが、それでアシストがうろたえる理由はない。
「どうして、そう思うのでしょう? それに私は、財宝は溝呂木さんの家にあるのだとばかり思い込んでいました。この博物館にあるのだとしたら、私の考えは間違っていることに……」
「そこですよ」
 ビシ、と真解が指先を突きつけた。
「ま、これは謎事が気付いたんですけどね。昼間、あなたはボクらにこう言った。ハルの所有物は現在、すべて溝呂木さんの家かこの博物館にある。そしてこの博物館には高価なものはない。よって、溝呂木さんの家に財宝はある」
「ええ。その発言こそ、私が財宝の正体に気付いてないことの証拠……」
「そこです。そこがおかしいんです」
 真解の指摘に、三木の格好をしたアシストは首を傾げた。これは演技ではない。本気で、何故ここがおかしいのかが分からない。
「あなたの発言は、『ハルの財宝は、既に見つかっている物の中にある』と言う前提の上に成り立っているんですよ」
「そんなことはありませんよ」
「いえ、そうです。もし財宝がまだ見つかっていないのなら、それが溝呂木さんの家にあると、どうして言い切れるんですか?」
「………」
 確かに真解たちも、初めこそ財宝は溝呂木の家にあると思い込んでいた。しかし、あとでそうとは限らないと知った。
 ハルは14の時、溝呂木の家系に嫁いできたのだ。
 暗号文を書いたのは16の時だが、財宝を隠したのもそのときとは限らない。ならば当然、ハルの実家に財宝が隠されている可能性もある。それを、学芸員であり、溝呂木からハルの遺産を借りた三木が知らないはずがない。
「あなたの言動にはさらにもう1つ、おかしな点がある」
「……どこでしょう?」
 剥がれかけた仮面を、無理やりに笑顔にする。ぎこちない笑み。
「ボクがハルの財宝は高価な物とは限らないと言ったとき、あなたは『協力する』と申し出た。ではこのとき、あなたのするべき『協力』とは何か。先ほどの理屈から、あなたは『ハルの財宝は、溝呂木さんの家かこの博物館にある』と考えていたことになる。もしそうなら、あなたがするべき協力は、『この博物館にあるハルの所有物を、全てボクらに紹介すること』です」
 ピク、とアシストは眉を動かした。しまった。真解たちの暗号解読の邪魔をすることばかり考えていて、整合性のある行動を取ることまで考えていなかった。
「ところが、あなたはそうしなかった。算額については説明したのに、それがハルのものだとは言わなかった。あまつさえ、あなたはボクらが暗号に取り組んでいる間に、事務室に帰っていった。……協力するんじゃなかったんですか?」
 気が付けば、4人の子ども達と江戸川が、アシストを囲むように立っている。全員ジロリ、と睨みつけていた。
「今にして思えば、あなたがボクらに個人授業をしたのは親切でもなんでもなく、単にボクらが暗号に取り掛かるのを妨害するためだったんじゃないですか?」
「いえ。私はまさか、皆さんが暗号を解こうと思っているだなんて、夢にも思わなかっただけで……」
「見苦しいぞ!」
 叫んだのは謎事だった。
「お前、マスクだろ!」
 違うんだけどなぁ、とアシストは思った。
 そのとき、隣室の倉庫から兜の声が聞こえた。
「警察です! 聞こえますか!?」
 どうやら三木が見つかったらしい。アシストはチッと露骨に舌打ちした。
「まさか、監禁してたんですか?」
「……学芸員は、旅行に行く時間もないほど忙しいらしい」
 そしてアシストは。
 顔を剥がした。
「あれ、男……」
 謎事は拍子抜けた声を出した。
「てめぇ、アシストかっ!」
 現れたのは、白人男性だった。スッと通った鼻筋、青い瞳、金色の髪。一昔前の少女マンガに出てきそうな若く美しい男が、そこにいた。
 アシストは一瞬だけ笑みを浮かべると、4人が動くよりも早く、一瞬にしてメイの側に立った。
「!」
 人質に取られる!
 とメイが思った次の瞬間。
 アシストはその場に跪き、メイの手を取った。
「ああ、メイ。俺はあんな40のおっさんではなく、君をこそ捕らえたかった」
 メイの全身に鳥肌が立った。表情が強張る。完全に引いていた。
「てめぇっ、メイちゃんから離れろ!」
 正義感ではなく、完全に私怨で謎事が動いた。右脚を力強く踏み出し、1歩、2歩。体を瞬間的に加速させる。その勢いのまま両足を浮かせ、前方へ突き出した。跪くアシストの肩に、謎事の跳び蹴りが激突した。
「きゃっ」
 転倒するアシストに引っ張られるように、メイもよろけた。アシストの顔の横に着地した謎事は、すぐに振り返り、メイの肩を受け止めた。
「大丈夫か、メイちゃん」
「あ、はい。ありがとうございます」
「おおー」
 それを見て、真実がパチパチと拍手する。
「謎事くん、かっこいい!」
 メイの背中を抱きとめている事実に気が付き、謎事はパッとメイから離れた。心なし顔が赤い。
「大丈夫か!」
 隣室から兜が走ってきた。起き上がりかけているアシストに飛び掛り、そのまま柔道の寝技の要領で組み伏せる。
「捕まえたぞ、アシスト!」懐から手錠を取り出す。「監禁罪の現行犯で逮捕する!」
 ガチャリ、とアシストの両手を背中で結んだ。


「……私が今朝出勤したら、突然後ろから羽交い絞めにされ、あれよあれよと言う間に手足を縛られたんです」
 檻から開放された本物の三木が、淡々と説明した。
 1日拘束されていたにしては、三木は元気だった。両手足を縛るロープを解かれ、目隠しなどを外されると、自分の足で立ち上がり、事務室の椅子に座った。
「いま何時ですか?」
「午後8時を回ったところですね」
 兜が腕時計を見て言った。
「先ほど救急車を呼びましたので、もうじき来ると思います。見たところ元気そうですが……念のため、病院で検査を受けてください。どこか痛んだり、気分が悪かったりはしませんか?」
「いえ、特には……」
 答えてから、深いため息をつく。猫山が、事務室に備え付けられた流しでコップに水を注ぎ、三木に渡した。
「ありがとうございます」
 コップを受け取ると、三木は一気にそれを飲みきった。
「あの、質問ですけど…」と真実が小さく手を挙げた。「1日縛られていて、ご飯やトイレはどうしたんですか?」
 何故そんなことを聞く、と真解は思ったが、三木は考える気力もないのか、淡々と答えた。
「食事は……たぶん昼だと思いますが、途中で耳栓と猿轡だけ外されて、サンドイッチと水を口に突っ込まれました。トイレの方は……その、オムツのようなものを穿かされました」
「は?」
 思わず三木の腰の辺りを見たが、ネクタイを外したごく普通のスーツ姿で、なんら違和感はない。赤ちゃんに苦痛を与えない、超薄型タイプと見た。
「ところで」三木が真実たちを見て言う。「皆さんは、どうして私が捕まっていることがわかったんですか? そもそも、皆さん誰なんですか?」
 確かに、三木としてはナゾだろう。昼間真解たちが会った三木は、アシストの変装だった。本物の三木と真解たちは、初対面だ。
「厳密に言うと」と真解。「三木さんが捕まっていると、わかったわけじゃないんです」
「と言いますと?」
「三木さんを監禁したのは、マスクの一味なんですよ。そして、マスクの仲間が三木さんに変装して今日一日過ごしていた。ボクらはそれを見抜いたんです」
「マスク……?」
 三木はしばらく考え込むような表情を作った後、ハッと顔を上げた。
「マスクって、あの予告状の?」
「そうです」真解は大きく頷いた。「マスクの狙っているハルの財宝が、いま、この博物館にあるんです」
「えっ」
 今度の三木は、偽りなく100%本気で驚いた。
「それも、現在展示されている物の中に」
「ええっ」
 三木は、展示品の中に財宝があることよりも、財宝の存在を見抜けなかった自分にショックを受けたようだ。「そんなバカな。全て調べたのに……」と呟いた。
「それで、その財宝とはいったい?」
 真解が口を開こうとしたとき、外から救急車のサイレンが聞こえてきた。次第に大きくなってくる。この博物館に向かっているらしい。
 兜と猫山が裏口へと向かう。詳しく説明している時間がなさそうなので、真解は財宝の正体だけ口にした。
「ハルの遺した財宝はですね……」
 真解の解答を聞いて、三木は。
「はイ?」
 声が裏返った。

Countinue

〜舞台裏〜
と、言うわけで、ちょっと中途半端なところで区切ったキグロです。
謎「今回の『解答編』は、2部構成なんですか?」
そうです。本当は1部にまとめようと思ったんですが、ちょっと長くなってしまいまして……。
謎事「でも、この『変装編』って、ちょっと短いよな」
うん。「1部だと長いけど、2部にするには短い」という、中途半端な長さになってしまったのです。
「長さを調整する」という能力が、まだまだボクには足りない様子……。

さて、今回の「変装編」ではアシストの変装が暴かれました。
次回、いよいよハルの残した財宝の正体が明かされます!
が、ヒントはもちろん、「問題編」に全て提示されていますので、ご安心を。
今回出てきた「博物館にある」と言うのは、スペシャルヒントですね。

ではまた次回。

作;黄黒真直

おまけのif〜もしも真実が一休さんだったら
殿「一休、この屏風を見てくれ」
真実「とても素敵なトラの絵ですね」
殿「そう思うか。しかし、儂はいま、この屏風に悩まされているのだ」
真実「と、言いますと?」
殿「実はな、この屏風の中のトラが、夜な夜な屏風から抜け出して、城中暴れまわるのじゃ」
真実「えっ!」
殿「そこで一休。どうにかこの屏風の中のトラを、捕まえてはくれぬか?」
真実「………わざわざ捕まえなくても、屏風ごと燃やしちゃえば良いんじゃないですか?」
 私が初めて一休さんの話を聞いたときに、こう思った。

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