摩訶不思議探偵局〜孤独な針〜 主な登場人物
実相真解(みあい まさと)…【探偵】
実相真実(みあい まさみ)…【探偵】
相上謎事(あいうえ めいじ)…【探偵】
事河謎(ことがわ めい)…【探偵】
江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)…【フリージャーナリスト】
溝呂木重三(みぞろぎ じゅうぞう)…【歴史研究家】
三木大介(みき だいすけ)…【学芸員】
ハル…【江戸時代の和算家】
マスク…【怪盗】
アシスト…【マスクの助手】


孤独な針〜推理編

 溝呂木がハルの暗号の原文を読み終えた。しかし、真解たちは首をひねるばかりである。
 何を言っているのか、さっぱりわからない。
 現代語訳を知っているので、大筋はわかる。「くら」とか「はり」とか言う言葉も出てきた。だが原文を聞いたからと言って、暗号が解けるとは思えない。
 真解はうなりながら、ハルの暗号を見た。今の話を聞いても、崩し字が読めるようにはならなかった。
「こういうのってさ」と真実。「文章の頭をつなげると単語が出てくる、とかよね」
「そうなのか?」
「博士。そうすると、どうなりますか?」
「えっと……」
 しかし溝呂木が言った言葉は、意味不明な言葉の羅列だった。
「……いまの言葉を、現代語に直してくれますか?」
「無理だな」溝呂木は一蹴した。「少なくとも、儂の知る単語は含まれていない」
「メイちゃんは?」
 メイも黙って首を振った。
「違うかー。あ、じゃあ、平仮名を飛ばして読むとか」
「そこに書かれているのは、全部漢字だ」
「あれ?」
 その後も、真実は手当たり次第に解法を提案したが、どれも意味を成す文章を作らなかった。
「そもそも」見かねた真解が、横から突っ込みを入れた。「200年も解かれなかったんだ。3文字飛ばしで読むとか、いろは歌で1文字ずつずらすとか、そういうシステマチックな方法で解けるなら、とっくに誰かが解いてるに違いない」
 真解の言葉に、溝呂木が賛同した。
「うむ、儂もそう思う。それに、5文字飛ばして読んだり、いろは歌で3文字ずつ後ろにずらしたりと言ったことは、儂も既にやっている」
〔やったんだ……〕
 真解は気まずそうに、溝呂木から視線を逸らした。それに気付かず、溝呂木は続ける。
「これは儂のカンだが、この暗号文は、もっと素直に受け取って良いような気がするのだ」
「素直にって、どういう意味ですか?」
 そこで溝呂木は唸った。そこまではわからないらしい。
「お兄ちゃんはどう思う?」
 真実の質問に、真解はしばらく考えてから、
「わからない」
 と首を振った。
「でも溝呂木さんの言う通り、この暗号文は、何らかの方法で変換すると別の意味ある言葉になる……という類の物ではないと思う。それこそ、メイが言っていたシャーロック・ホームズの暗号に近いものだと思う」
「三角比ね」
「三角比が出てくるかどうかはわからないけど……。そもそも、三角比ってなんだ」
 真解の質問に、真実は爛々と目を輝かせた。
「三角比って言うのはね!」
「いや、やっぱり良い」
「なんでよ」
「いまは暗号に取り掛かりたい」
 そう言って真解は、再びガラスケースの中を覗き込んだ。
「……先ほどから気になっているのですが」
 少し離れた位置から、遠慮がちに三木が尋ねる。誰が尋ねられているのか分からず、6人全員、三木を見た。
「皆さんは、その暗号を解こうとなさっているのですか?」
「ええ」
「何故です?」
 真解たちは、チラリと溝呂木を見た。溝呂木が代表して言う。
「三木さんには、水曜に真っ先に連絡したが……」
「水曜……あ、マスクですか? え、本当に?」
「信じてなかったのかね!」
「い、いえ、決してそう言うわけでは」
 ぎこちなく申し訳なさそうな顔をする三木。言い訳がましく続けた。
「ただ水曜に私が申し上げたとおり、暗号が解けなくとも、財宝を守ることは可能ではないかと思い込んでまして。まさか、解こうとするとは……」
 真解は眉をひそめた。「どういう意味です?」
「だってそうでしょう? ハルの所有していた物は現在、溝呂木さんの家か当博物館にあります。ですが、当博物館には高価なものは置いていません。よって、マスクが狙うのは溝呂木さんの家。なので、溝呂木さんの家を警察に守ってもらえば、万事解決です」
 一理ある。しかし、真解は反論した。
「ところが、そうはいかないんです」
「何故です?」
「マスクが狙うのは、高価なものばかりとは限らないんですよ。……ですよね、江戸川さん」
 三木の視線を受け、江戸川は大きく頷いて答えた。
「そうですね。マスクは世間的な価値観とは無関係に、犯行に及んでいるようです。盗品の中には、世間的な価値はゼロ円と言うものもあります」
「なるほど……」
 三木はあっさりと納得した。それから、暗号の方を振り見る。
「わかりました。なら私も、出来る限り協力しましょう」

 しばらくの間、真解たち4人はガラスケースの中の暗号文を見ていた。溝呂木は反対側の間仕切りで、ガラスケースを覗き込んでいる。江戸川も辺りをキョロキョロと見渡し、プレートを立ち読みしていた。三木は少し離れたところから、その光景を見つめていた。
 そのうち謎事と真実が音を上げて、他の展示品を見始めた。展示品やプレートを見るたびに、真実は三木に「これはなんですか?」「なんて書いてあるんですか?」と質問していた。それらの質問に、三木は淡々と、丁寧に答える。
「これはなんですか?」
 真実は、真解たちから少し離れたガラスケースの中を指差した。中には、一抱えくらいある額縁が展示されている。そこにはカラフルな幾何学図形と、漢字だらけの文章が並んでいる。この文章はハルの暗号とは異なり、崩されていない。幾何学図形の中には、何故か「甲」だの「乙」だのと書かれていた。
「これは算額ですね」
「算額?」
「はい。江戸時代、プロやアマチュアの和算家達が和算の問題を解いたとき、解いた問題を書いてお寺などに奉納したのです」
「それが、これなんですか?」
「はい。主に、問題が解けたことを神仏に感謝する意味と、自分の学力を人々に誇示する意味があったと言われています」
「あれ、ってことは」真実は目を輝かせた。「これ、数学の問題なんですか!?」
 三木は丁寧に頷く。
「はい。問題とその答えが書いてあります。残念ながら、解法は書いてありませんが」
「なんて書いてあるんですか!?」
「少々お待ちを。えーと……」
 三木は算額を覗き込み、文章を読み始めた。それから、現代語で内容を伝える。
 その算額に描かれた図は、きちんとした道具で描かれたようで、パソコンの描画ソフトを使ったかのように綺麗な図だった。三角形の中に円が1つ、ぴったりと入っている。
「2辺の長さが1である三角形と、それに内接する円がある。円の面積が最大となるとき、三角形の底辺はいくらか。そう書いてあります」
「……簡単そうだな?」
 謎事が呟いた。真実は「そうかな?」と言った。
「あら、三木さん」
 いつの間にかに、側にいた江戸川が尋ねた。
「この算額、最後に『春』と書いてありますが、まさか……?」
「そうだ」三木の代わりに、溝呂木が答えた。「それは、ハルが奉納した算額だ」
「へぇぇ……」
 呟いてから、真実はバッグから手帳を取り出した。そこに、図を書き始める。どうやら、問題を解き始めたようだ。
「真実ちゃんに解けるかね」と溝呂木。「ハルの作った問題は、どれも難しい問題だったらしい。挑戦したほとんどの和算家が解けず、この問題に至っては誰一人解けなかったそうだ」
「超難問じゃないすか」
 と謎事。うむ、と溝呂木は鷹揚に頷き、真実を見た。真実は2人の会話など聞こえていないのか、一心不乱に手帳にペンを走らせている。
〔……なんか、突然静かになったな〕
 それまで暗号文を見ていた真解が、顔を上げて真実を見た。
 手帳を覗き込む真実の瞳は、輝いていた。いたずら好きの猫のような目が、いたずらが見事成功したときのように、細くなっている。
 箸が転んでもおかしい年頃、という表現がある。箸が転がるようなちょっとしたことでさえ面白く感じてしまう、思春期の娘を指す言葉だ。真実もその例に漏れず、常に楽しそうである。
 しかし、真実が一番楽しそうにするのは、数学の問題を解いているときだ。双子の兄である真解は、そのことを知っていた。いったい何がそんなに楽しいのか、真解には全く理解できない。真実は幼い頃から、パズルとかなぞなぞを与えておくと、ずっと静かだった。
〔もしかしたら、ハルもそう言う少女だったのかも知れないな〕
 ハルが現代にいたら、真実と気があっただろうか。
 ただ、真実は問題を解いているときは静かなのだが、解き終わると途端にうるさくなる。解法を喋りたがるからだ。
〔……まあ、今回は誰一人解けなかった超難問だし、ずっと静かだろう〕
 そう思ったのに。
 真実は不意に顔を上げると、ポカンとした顔で告げた。
「……解けた」
「は!?」
 天才少女、ここに現る!?
 一同は真実のもとに集い、手帳を覗き込んだ。英文のような数式がずらっと並んだ末に、数字が書かれている。その数字は、確かに算額に書かれている答えと一致していた。
「ど、どうやって解いたんだ?」
 謎事が聞く。真実は淡々と答えた。
「んっと……たぶん、現代の数学者なら、みんな解けるんじゃないかな?」
「なんでだ?」
「微分を使えば、一瞬で解けるのよ」
「……は?」
 ビブンてなんだ。謎事は呆けたが、溝呂木や三木は、むしろ納得したような顔をした。
「なるほど、誰も解けないわけだ」
「どういうことすか、溝呂木さん」
「和算に、微分はないんだよ。おそらくハルも、微分を使わずに解いたんだろう」
「微分が……ない?」
 真実の疑問形の言葉に、溝呂木は頷いた。
「正確には、微分のようなものはあったらしいが、はっきりとした概念は存在しなかったらしい。積分の方は『円理』と言って、西洋にも引けを取らないレベルまで達していたようだが」
「微分がないのに、積分はあったんですか?」
「そうだ。当然、その2つを結び付けてもいなかった」
「と言うことは、積分の計算をいちいち区分求積法とかでやってたんですか?」
「……いや、儂も詳しくはよく知らないがな」
 和算に関しては詳しくても、数学にそのものについての知識は深くないようだ。
「微分を使わずに解く……」
 真実はそう呟いて、再び手帳に目を落とした。シャーペンを握り締め、問題に取り掛かる。
 ビブンを使わずに、解こうとし始めたようだ。

 それから、真実を含め、一同はずっと静かだった。時々真解とメイが暗号について話す以外、展示室内に会話はない。三木も、いつの間にか受付裏の事務室に戻ったようだ。
 そのとき、室内に静かに音楽が流れ始めた。『蛍の光』のカラオケバージョンだ。
「あら」江戸川が腕時計を見た。「6時閉館なのね」
 展示室の出口から、三木が入ってきた。すまなそうに頭を下げる。
「皆様、本日はお越しくださりありがとうございます。申し訳ありませんが、閉館時間となりましたので……」
 閉館なら仕方ない。6人はぞろぞろと出口から外へ。そして無人の駐車場へと進んだ。
〔マスクの予告した時刻まで、あと4時間〕
 真解はぼんやりと考えた。
 古語の知識をメイから得ながら暗号文を読んだが、結局何一つ分からなかった。200年も解けなかった暗号を数時間で解こうというのは、さすがに無理があったのか。
〔だけど、マスクは解いた。いったい、何故解けたんだ?〕
 マスクにあって自分にないものが、きっと何かあるのだ。それさえ掴めれば……。
「突っ立ってないで、早く乗ってよ、お兄ちゃん」
 後ろから真実が小突いてきた。目の前には白いワゴン車。真解は来るときと同じ席に座った。その横に真実が寄り添うように座る。
「暑いからあまり引っ付くな、真実」
「頭を使えば、暑さは感じない」
 そう言う真実は、自分の手帳に図や数式を一心不乱に書いていた。ハルの問題にいまだに挑んでいるのだ。暗号への興味は、完全に失われていると見て良い。
「ビブンを使わずに解けそうか?」
「さっぱり」
 シャーペンの頭を唇に押し当てながら、真実が答える。既に手帳のページは、10ページ以上使われていた。もっとも、文庫本サイズの手帳なので、1ページに書ける分量も少ないのだが。
 全員乗り込んだのを確認し、溝呂木がワゴン車を動かした。謎事は横目に、博物館の塀を見た。「日本の数学 〜和算〜」のポスターが、広々とした掲示板に寂しげに貼ってある。
「明日が最終日なんだな」
「何がですか?」
「企画展示。1か月やってたらしいぞ」
 明日が最終日なのに、自分達以外観覧客がいなかったのか。三木が嬉々として説明していたことも頷ける。
 帰りは行きと違って、会話がなかった。疲れていたのかもしれない。真実がペンを走らせたり、カチカチとノックしたりする音が、車内に響いた。
「やっぱり無理よ、微分使わないなんて」
「しかしなぁ」真実の呟きに、溝呂木が答える。「和算に微分はなかったからなぁ」
「そもそも、ビブンてなんだ?」
 謎事が聞いた。真実が目を輝かせて、後ろを振り向く。
「微分って言うのはね!」
「お、おう」
「ごく小さな変化を調べるものなの」
「小さな変化?」
 鸚鵡返しに謎事。真実は、うん、と頷く。
「例えばこの問題」
 真実は手帳を開いた。三角形と、それに内接する円。算額に載っていた図と同じだが、「甲」「乙」の代わりに「x」「y」と書かれている。
「三角形にぴったりはまる円があるとき、この円の面積を最大にする三角形の底辺を求めよ。私はこの問題を、微分を使って解いた。これはつまり、『三角形の底辺をほんの少しずつ変化させ、逐一円の面積を求めて解いた』と言うこと」
「ほんの少しずつ?」
 謎事は頭の中でアニメーションした。三角形の中に、円を収める。そして三角形を、左右に広げたり狭めたりする。当然、円も大きくなったり小さくなったりする。
「つまりこういうことか」横から真解が聞いた。「正面突破じゃ解けないから、『ありとあらゆる三角形を描いて』円の面積を全て求めた……」
「平たく言えば、そういうことね」
「そんなこと不可能だろ」
 と謎事。真実は謎事にシャーペンを突きつけた。
「それが出来るのが微分。ま、実際には微分は『変化』を求めるだけだから、『三角形の底辺がAからBまでは円の面積が増え続けるけど、Bを超えると減り始める』みたいに、増減しかわからないんだけどね」
「増減だけじゃダメじゃないか?」
 謎事の疑問に、真解が答えた。
「いや、増減がわかれば十分だ。AからBまでは増えて、Bからは減り始める。ってことは、Bが“頂上”になるってことだ。だから、三角形の底辺がBのときに円の面積が最大になる」
「そういうこと」
 へぇ、と言う空気が車内に流れた。助手席に座る江戸川が、前を見たまま聞いた。
「さっき、積分がどうとか言ってたけど、何の関係があるの?」
「積分は、複雑な図形の面積や体積を求めるのによく使うんです」
「それと微分と、何の関係が?」
「えっと……」
 真実は上を向いて、少し考える仕草をする。木の上にいる小鳥を狙う猫のような印象だ。どうやったら気付かれずに、あそこまで近づけるか。
「複雑な図形の面積を求めようと思ったとき、そのまま求めるのは無理なので、それを細かく分解して求めようとした人がいたんです。例えば四角形とか三角形とか、面積の求めやすい形にバラバラにして、その全ての面積を足してしまえば良い、と」
 話を聞きながら真解は、小学校の算数の授業を思い出した。確か、黄色いタイルを何枚も並べて、図形の面積を求めたことがある。
「最初のうちは、図形ごとに求めやすい形を考えて切り刻んでたみたいだけど……そのうち、全部長方形で済むことに気が付いた人が出てきたの」
「なんで長方形なんだ?」
 後ろから謎事が聞く。全員すっかり真実の話のとりこだった。勉強熱心な人々である。
「複雑な図形を細い千切りにすると、一本一本はほぼ長方形になる。その長方形の幅は全て同じで、高さは図形の形に沿って少しずつ変化する」
「少しずつの変化って」と謎事。「微分じゃん」
「そう。ある長方形から隣の長方形に移るとき、高さがどのくらい変わるかは、微分を使って求めることが出来る。そうすれば、長方形の高さがわかる。すると、幅かける高さで長方形の面積が求まる。それらを足し合わせれば、複雑な図形の面積が求まる。……これが積分よ」
 真実先生の講義終了。
 ……かと思ったが、真実はその後も、延々と微分と積分について語った。その大半は真解たちには理解できなかったが、真解は思った。
〔真実って、語り好きだよな…〕
「良いじゃん別に」
〔なんで心を読まれたんだ?〕

 真実の講義もいよいよ佳境、と言うところで車は溝呂木宅に到着した。真実は語り足りないようだったが、問答無用で真解たちは車から降りた。
 真解たちは、再び応接室へ通された。溝呂木が麦茶と数冊の大学ノートを、漆塗りのケヤキのテーブルに置いた。ノートはすべて、ハルに関することが書かれているらしい。どのページにも、明朝体のような骨ばった字が綴られている。溝呂木の字だ。
「皆さんは、これを参考に暗号に挑んでください。儂は夕ご飯を作ってきます」
「手伝いましょうか?」
 江戸川が軽く腰を浮かす。溝呂木は丁重に、
「いや、結構です」
 応接室の冷房を入れると、部屋を出て行った。
 真解たちは早速、目の前のノートを手に取った。
「でもよ」ノートをパラパラやりながら、謎事。「本当に財宝なんて、あんのかな?」
 全員が、謎事を見る。「ハルがウソを吐いてるってこと?」と真実が聞いた。
「いや、最初からないのか、途中でなくなったかわかんねぇけど……」
 謎事は室内を見渡した。アンティークな棚に、骨董品が並んでいる。
「この家、築30年くらいだろ? で、溝呂木さんはこの家を建てたときには既に、ハルの暗号文を知っていた。なら溝呂木さんは、30年以上前から、ハルの財宝を探してたって事じゃないのか? こんな何冊もノートを作るくらい、真剣に」
 ノートは、どのページも文字や写真でびっしりと埋まっていた。気まぐれで作れるような代物ではない。文字の丁寧さからも、真剣さが伺われる。
「なのに、発見できてねえんだろ? それは、財宝がないからじゃないか?」
「いや、財宝はある」
 真解が強い否定をした。あまりにはっきり断言するので、謎事のみならず、真実たちも驚いたようだ。
「どうして言い切れるの?」
「マスクが予告状を送ってきたからだよ。マスクが『盗む』と言った以上、財宝はあるんだ」
 それは、妙に説得力のある言葉だった。マスクは「盗む」と宣言した。なら、財宝はあるのだ。なければ盗めない。
「ですが」とメイ。「謎事くんの言うことも、一理あると思いますが」
「よほど上手く隠した、とか?」
 江戸川が言った。そういえば、江戸川は倉でもそんな主張をしていた。
 真解はしばし俯き、考えに沈んだ。数秒そうした後、顔を上げて説明し始めた。
「今の状態は、3つの可能性のどれかに分類できる。1つ、財宝は存在しない。でも、これはあり得ない」
 うん、と真実が頷く。
「2つ、財宝はあるが、まだ見つかっていない。この可能性は、否定も肯定も出来ない。たまたま見つかっていない可能性もあるけど、メイや謎事が言うとおり、不自然だ」
 謎事とメイは顔を見合わせた。それから再び、真解の方を見る。
「それで、3つ目は?」
「3つ、財宝はあり、既に見つかっている」
「は?」謎事が間の抜けた声を出した。「どういう意味だ?」
 立て続けにメイが言った。
「既に誰かが発見していて、でも発見者がそれを隠している、と言うことでしょうか?」
「違う」首を振った。「それだったら、マスクが溝呂木さんに予告状を出した理由が説明できない。誰かが隠しているなら、その隠している相手に予告状を出すはずだ」
「それは、溝呂木さんが財宝を持っているから、マスクは溝呂木さんに予告状を出した、と言うことですか?」
「ああ」
 真解が頷くと、4人の顔には疑問符しか浮かばなかった。財宝は存在する。そして既に発見されている。それを溝呂木が持っている。しかし、溝呂木はそれを懸命に探している。……いったい、何故?
「つまり。財宝はあり、既に見つかっているが、それが財宝だと気がついていない、と言うことだ」
「は?」謎事が再び間の抜けた声を出した。「そんなこと、あるのか?」
「あり得なくはないと思う。だって、財宝がなんなのかすら、わかってないんだろ? だったら、財宝を見つけたって、それが財宝だって、どうやってわかるんだ?」
 言われてみれば、そうである。
「だけどさ」と真実。「財宝って言うくらいなんだから、価値あるものなんじゃないの? わたし達はともかく、溝呂木さんなら、一目見て財宝だってわかるんじゃないかな?」
「ハルの遺した財宝が、価値あるものとは限らない。例えば、自分が大切にしていた本とかかもしれないだろ?」
「……裁縫箱とか?」
「……絶対ないとは言い切れないな」
 何故そんなに裁縫箱が気に入ったのだろう。真実に手芸の趣味はなかったはずだが。
「あ、そうか」謎事が神妙な顔で、独り言のように言った。「あれはそう言う意味か」
「あれ?」
 真実が眉をひそめて聞き返す。
「さっきちょっと気になったんだけどな。いまの真解の話を聞いて、わかった」
「どういうことだ? 何が気になったんだ?」
 謎事の言う「あれ」を聞いて、今度は真解が神妙な顔になった。
〔……気にするほどのことじゃない、か? いや、言われてみると他にも妙な点があったような?〕
 しばらく考えたが、真実が言った。
「気にすることないんじゃない? それより、早くしないとマスクが来るよ」
 棚に置かれた電子時計を見る。現在時刻は午後7時。あと3時間で予告の時間だ。
「やっぱり、暗号を解くしかないのよ。そうすれば、財宝の在り処も、そもそも財宝がなんなのかもわかるじゃない」
「……それもそうだな」
 真解は目の前のノートを手に取った。それは、最初に溝呂木が持ってきたノートだ。
 ページを開き、例の暗号文を探す。すぐに見つけ出すと、真解は改めて、暗号文を読んだ。
〔私がその物の怪に出会ったのは……〕

 読み終わって、真解はデジャヴを感じた。いや、この暗号文ならもう何度も読んだから、既視感があるのは当然だ。しかし、違う。これはデジャヴだ。
〔ボクはこの暗号文を、「聞いた」ことがある〕
 何故だ。溝呂木が原文を読み上げたからか。いや、違う。真解は思い出した。これは、あそこで聞いたのだ。
 真解は俯き、口元に拳を当てた。真解の頭が、高速で回転を始めた。
 この暗号文が解けた者は、ハルの遺した財宝が手に入る……。
〔いや、違う!〕
 溝呂木はそうは言わなかった。この暗号文の「ナゾ」が解けた者は、財宝が手に入ると言ったのだ。
〔この暗号文そのものを解くんじゃない。この暗号文に隠されたナゾを解かなきゃいけないんだ!〕
 そして、そう考えたとき。
 ウソのようにあっさりと、暗号の意味を理解した。
「……見えた」
「ふぇっ?」
 真実が顔を上げ、真解の顔を覗き込んだ。
「解けたの?」
「あ、ああ。だけど……」
 だけど、の後は真実の歓声にかき消された。答えは何、と真解を揺する。
〔解けたは良いけど〕揺れながら、真解は考えた。〔マスクはこんなもの、どうやって盗むつもりなんだ?〕
 そこで、天啓のように真解はひらめいた。先ほど謎事が言った、気になる点。あれは、ここにつながって来るのではないか?
 そのとき応接室の扉が開いて、四角い顔が中を覗いた。溝呂木だ。
「夕食が出来たよ」
「溝呂木さん!」
 立ち上がって、真解が言った。
「溝呂木さんはもしかして、骨董品の複製なども行っているんじゃないですか?」
「……うん?」
 まあ、確かにやっているが。答えながら、溝呂木は首を傾げた。
「それが?」
 真解はニヤリ、と笑った。
「急ぎましょう。今ならまだ、マスクの犯行を阻止できます」

Countinue

〜舞台裏〜
突然ですが私は、「ミステリは全ての手がかりが問題編に登場し、必ず真相が導けるようになっていなくてはいけない」と考えています。
真解「本当に突然だな」
当然その信念は、『摩探』にも適用されています。
真実「『摩探』のルールってわけね」
真解〔ルール多いな〕
ですので、今回登場した暗号文は、現代語訳で解くことが出来ます。原文は必要ありません。
真実「なんだ、いらないんだ」
まあその代わり、その現代語訳も1回しか書かないという不親切設計ですがね。
真実「解こうと思うと、いちいちページまたがないといけないんだけど」
暗記しろよ。
真解〔そんなことが出来るのは真実だけだ〕
ちなみに、今回登場した和算の問題ですが、こちらも本編中に出てくる条件だけで解くことが出来ます。
謎事「ビブンを使って?」
はい。ちなみに三角比も登場します。
真解〔結構高度な問題じゃないか?〕
いやいや、高校3年レベルの問題だよ?
真解〔高度だよ!〕

さて、そんなわけで問題編は以上です。
果たして、ハルの遺した財宝とは? その在り処は? そして、マスクはどうやって盗むのか、真解はどうやってそれを阻止しようとしているのか?
なんだか、暗号ばかり目立って、マスクの存在感がゼロですが、真相編ではマスクが大活躍する予定です。
真解〔マスクが活躍しちゃダメじゃないか?〕

では、また次回。

作;黄黒真直

おまけのif〜もしも謎事が一休さんだったら
殿「堅苦しい話は後にして、まずは食事でもしようではないか、一休」
謎事「ありがとうございます。頂きます」
殿「おっと、その前に、一休」
謎事「なんでしょうか」
殿「1つ頼みがあるのだが、その味噌汁は、蓋を開けずに飲んでいただきたい」
謎事「わかりました」
 バキィッ!
殿「な、何をする!?」
謎事「蓋を『開けずに』と仰ったので、蓋を『壊して』飲むことにしました」
殿「それは高価な茶碗なのだぞ!」
謎事「殿、形あるものはいつか壊れるのです」
和尚「一休、それはここで言うセリフではない!」
 冷えているので蓋を開けずに温めてください、というオリジナルのネタは、「現代なら電子レンジがあるから余裕」「出された料理にイチャモンつけるとは、小僧の癖に礼儀がなってない」などの理由で、不適切だと私は思います。

変装編を読む

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