浦島太郎が乗ったカメの時速は?
「浦島太郎」はみなさん知っていることでしょう。 カメを助けて、カメはその恩返しに竜宮城へと浦島を招待する、と言うもの。 では、そのカメの時速は果たしていくらぐらいなのでしょうか? この疑問(愚問?)の答えを出すには、竜宮城までの距離と、そこに到着するまでに要した時間が分からなくてはなりません。 『正法念処経(しょうほうねんしょきょう)』という仏教の経典によれば、竜宮城は海底500由旬(ゆじゅん)のところにあるといいます。 「由旬」とは、古代インドの距離の単位で、時代によってその長さはまちまちですが、2002年現在では、1由旬=約6.6kmとされています。 それを元にすれば竜宮城は3300kmの彼方にある事になります。 浦島太郎が竜宮城に着くのにかかった日数は室町時代の『御伽草子(おとぎぞうし)』によれば10日。 したがってカメの時速は3300km÷240時間=約14km/時となります。 自転車は、これよりももう少し速く走っているので、カメの時速は自転車程度、と言えそうです。 |
御利益は出したさい銭に比例するか否か? 初詣や受験などで、神社などに願かけに行ったことのある人は、多いことでしょう。 そしてその時、ほとんどの人は、さい銭をさい銭箱に投げ込むはずです。 そこでちょっとした疑問。 果たして御利益は、さい銭の量と関係するのでしょうか? 1円玉なら1円ほどの、1万円だったら、1万円分の御利益が貰えるのでしょうか? もちろん、この疑問に正確な解答はありません。なにしろ、相手は神様や仏様ですから。 ただ、ある神社の宮司(ぐうじ)に言わせますと、5円や1万円といった金額の問題ではないとのこと。 要は、心を正しくしてお願いする、その姿勢が大切だとか。 そうすれば、たかが5円でも十分な御利益を望めるそうです。 でも、あんまりこういうことを考えていると、御利益を望めない? |
医者がカルテを日本語で書かない理由 病院で診察してもらうと、ほんの軽い風邪でもお医者さんはなにやらわけのわからぬ難しそうな横文字を使って、カルテに記入します。 このカルテにはどんなことが書き込まれるのかというと、 例えば熱がどのぐらいあるかとか、排便の様子など、患者が医者に訴えた容態や、問診の答え、症状の変化、 それに診察の結果や薬の名前、分量などの治療方法など、様々なことが記入されるのです。 こうした内容を診察しながらすばやくカルテに書き込まなくてはなりませんから、ならべく速く簡単に、しかも明確に書ける言葉でなくてはなりません。 そこで専門用語である医学用語が使われるのです。 ところが、日本の医学用語の名かには、非常に難しく、読みづらいものがたくさんあります。 例えば、一般にオタフクカゼと呼ばれる物も、医学用語では「流行性耳下腺炎(りゅうこうせいじかせんえん)」、またミズボウソウは「水痘(すいとう)」と言います。 これだけではなく、ムシバも医学用語にかかれば「齲歯(うし)」、 クシャミまで「噴嚏(ふんてい)」という、10画どころかなんと20画も超える難しい漢字ばかり。 つまり、このように日本語の医学用語は、漢字も読み方も非常に難しいため、もっと便利で、すばやく書ける横文字が使用されているのです。 書いている文字はドイツ語か英語ですが、両方とも知っての通りアルファベットですので、急いで書くにはとても楽なのです。 また、外国語を使うこの他の理由としては、診察した内容を、あまり患者にはっきり知らせたくない場合に便利、という点もあります(ガン患者の前で、思いっきり「悪性腫瘍(ガン)」なんて書けませんからね)。 しかし、最近はこうしたドイツ語や英語でも、カルテに記入される用語は相当数に上り、統計をとったり、分析したりするには不向きである、と言うことから、 医学用語や症状などの表現を符号化して、コンピューター処理をすることが進められています。 また、カルテに日本語を書かない医者が多いものの、別にそういう規定があるわけではないので、全て医者の好み。 人によっては、日本語で書くこともあるはずです。 |
サンタクロースの元々の名前 子供たちに夢とプレゼントを与えるサンタクロース。 彼は「サンタ、サンタ」と呼ばれていますが、実は元々の名前はサンタクロースではないのです。 サンタクロース【Sant Claus】の元々の名前は、セントニコラス【Saint Nicholas】と言います。 このセントニコラスがなまり、サンタクロースになったのです。 つまり、普段我々が「サンタ」と呼んでいる人物…とりわけ、自分で「サンタだ」と言っている人物は、本物のサンタではないのです。 また、「サンタ、サンタ」と言っていますが、この「サンタ」は「セント」がなまったもの。 そして、この「セント」とは名前ではなく、「聖人」や「聖者」「聖徒」と言う役職(称号)を表す単語なのです。 「セント」はよく、「聖」と訳され、「聖○○」となります。 つまり、「セントニコラス」は、日本語にすると「聖ニコラス」になるのです。 ですので、「サンタ」と言うだけだと、ただ単に役職を指しているので、「サンタクロース」の事は指さないのです。 ちなみに、このようになまった言葉のことを、転訛語(てんかご)と言います。 |
「カステラ一番…」の歌に隠された、文明堂の秘密 「カステラ一番電話は二番、三時のおやつは文明堂」 結構有名なこの歌は、文明堂のCMソングです。 さてこの歌。「カステラ一番」と「三時のおやつは文明堂」は解りますが、「電話は二番」って一体なんでしょう? 実は、文明堂とは日本で2番目に電話を導入した所なのです(一番目不明)。 その為、(文字埋めの為なのか、主張したいのかはわかりませんが)歌の中に「電話は二番」と入っているのです。 そして、文明堂の電話番号は、必ず最後が0002か、2000となっているのです。 ちなみにこのCMは1960年代よりはじまり、以後、10年ごとにリニューアルしているのです。 あと、こんなこぼれ話もあります。 あのCMを一度止め、全く別なCMを放映しました。 そしたら、それが大不評! 文明堂は、あのCMを続けることにしたんだそうです。 |
ブルー・ジーンズは何故青く染めている? 「ジーンズ」の愛称で親しまれる「ブルー・ジーンズ」 知っての通り青いですが(最近は青くないのもありますが)、あの青色。 元々は単なるデザインではなく実用的効果があったのです。 ブルー・ジーンズは1850年代。ゴールド・ラッシュでアメリカのカリフォルニアに集まった採鉱夫の間で生まれました。 最初にジーンズを作って広めたのは採鉱夫の1人、リーバイ・ストラウスという人です(ジーンズメーカーの「リーバイス社」はこの人が創業しました)。 テント用の生地を利用して、作業用のズボンを作ったのですが、その丈夫さが評判になり、たちまち採鉱夫たちの間に広まりました。 さて、では実用的効果とはいったい何かというと、実はマムシ(主にガラガラ蛇)避け。 ほとんど医者のいない環境で生活する採鉱夫たちにとって、毒蛇や毒虫の恐怖は切実な問題だったのです。 あの青色が毒蛇・毒虫避けに役立つという科学的根拠があるかどうかは解りませんが、この色のズボンを身につけることにより、ある程度の安心感を得ることができ、仕事に熱中で来たのでしょう。 ちなみに、最初のころのジーンズは、生なりのままだったそうです。 |
2月14日はこんな日でもある 2月14日は知ってのとおり、バレンタインデーです。 しかし、意外と知られていないのが、語呂合わせの記念(?)日。 2月14日は、なんと…煮干の日でもあるのです。 そう言われてみれば、214で、なんとなくニボシとも読めそうな気もしないでもありません。 チョコレートを食べると、骨が弱りますし、2月14日は同時に煮干も食べた方が良いかもしれません。 ちなみに、よくバレンタインデーを英語で「Velentine Day」と書く人がいますが、正しくは「Velentine's Day」なので、お間違いなく。 ちなみに、バレンタインデーの紀元のご紹介。 その昔、古代ローマで兵士を結婚させてはいけないと言う法律がありました。 しかし、バレンタイン牧師(彼の身分については、牧父、司教などと、いろいろ言われているが、区別が付かない…)はたくさんの兵士を法に背いて結婚させました。 その為、多くの人から称えられましたが、犯罪は犯罪。彼は2月14日、処刑されてしまいます(銃殺刑)。 そんな彼の精神を称えて、聖バレンタインデーが生まれました。 最後にもう一つ。 チョコレートを送り、愛を告白するというのは、日本だけの習慣です。 「株式会社メリーチョコレートカムパニー」が「チョコレートを送ると愛が実る」と言い、チョコをたくさん買わせようとして、このような話を流したのです。 まぁ、外国でも、一応意中の人にプレゼントを渡す、と言う習慣はあるにはあるのですが。 ただし、「女性から男性」に限定せず、「意中の人へ」と言う習慣のようです。 なお、『3月14日はこんな日でもある』もあわせてご覧いただければ、より楽しめます。 |
理髪店のあのシンボルマークの由来は? 理髪店(床屋)のシンボルマーク。 赤と青と白のだんだら模様がグルグルと回っている、誰もが知っているあのシンボルマーク、一体由来は何なのでしょう? これは、現在の商売とは何の関係もないマークなのです。 その昔、理髪店が外科医の先駆者であった名残を示す物で、赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表しています。 「理髪店が外科医の先駆者だって!?」 と、現代人には想像も付かない結びつきですが、こういう理由からなのです。 始まりは、中世ヨーロッパ。 実は、中世ヨーロッパでは、一定の血液を体から抜くことが一つの健康法とされていたのです。 いわゆる、「瀉血(しゃけつ)」と呼ばれるものです。 体に何ヶ所も傷を付けて、吸い玉と言う空気圧で血を吸い出す器具を付け、じっと我慢して「悪い血」を体の外へ出したのです。 いまから想像すると、気味の悪い、いかにも痛そうな健康法ですが、当時の人は、これで病気が良くなると信じてやっていたのです。 これは主として、浴場で行われていました。 おそらく、体が温まると血も出易いからでしょう。 この時、瀉血をする人以外に浴場にいたのが、客のヒゲをそったり、散髪したりする理容師です。 おかげで、彼らは血についての知識を身につけ、やがて外科医の先駆者となって行ったというわけです。 さて、この血抜きをする時に、彼らは患者を一本の棒にしっかりつかまらせたのです。 そのため、どの理容師もいつも棒と包帯を用意し、使わない時は包帯を棒に巻いて、店の戸口に立て掛けておいたのです。 やがて時代が進むにつれ、戸口に立ててある棒と包帯を使うのは不潔であると言うことから、この棒を特別に赤いだんだら模様に塗って、広告用にしたのです。 赤い筋は血に染まった包帯を思い出させる物でした。 そしてこれが次第に赤と青と白のだんだら模様になって、人の目を引くようになったのです。 ちなみに、この血抜きの料金は一定していなかったところから、患者は自分が出せるだけの金額を、あるいはその労働に値すると考えた金額を支払いました。 やがて、この方法がイギリス全体に広がって、宿屋や居酒屋などでもサービスに対する礼金を入れる小さな箱が置かれるようになりました。 箱にはならべくたくさんお金を入れてもらうために "To Insure Promptness(敏速を保証するために)" と書かれていました。 この3語の頭文字をとって産まれたのが"tip(チップ)"と言う言葉です。 つまり、チップは、元々は浴場での商売から産まれた物なのです。 ちなみに、床屋の前のシンボルマークの名前は、「サインポール」と言います。 今回の雑学は、ワタクシが一番最初に買った雑学本の、一番最初に書かれていた雑学で、ちょっと力を込めてみました。だからどうしたってわけじゃありませんが。 |
上野の銅像、西郷さんが連れているイヌはオスかメスか? 修学旅行や、東京見物などの観光コースにもなっている、上野の西郷さんの銅像。 あの銅像、ちょこんとイヌを連れていますが、あのイヌ、果たしてオスでしょうか? メスでしょうか? あのイヌは「つん」という薩摩犬だそうです。 そして、実際の西郷さんが飼っていた「つん」はメスです。 ただ、あの銅像を造った製作者の高村光雲さんはオスをモデルにしたため、銅像のイヌはオスなのです。 と言う訳で、結論は 「本物のつんはメスだけど、銅像のつんはオス」 です。 ちなみに、あのつんは猟犬。 銅像の西郷さんは、あのイヌを連れて、ウサギ狩り行くところなのです。 のんきにお散歩かと思いきや、実は狩りに行くところだったんです(まぁ、ウサギ狩りは当時の遊びでしたけど…)。 |
超長いピカソのフルネーム 20世紀最大の画家とも言われているピカソ。 彼は、実は落語の「寿限無(じゅげむ)」のように、とてつもなく長い名前の持ち主なのです。 ピカソのフルネームは パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニァーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ です(ただし、ピカソはスペイン人のため、カタカナ表記すると発音が微妙に異なってきます。そのため、資料によって若干違う場合があります)。 記憶力に自信のある方は、覚える事に挑戦してみても面白いかもしれません(私は覚えていません)。 そんなわけで、とても長いピカソのフルネームの紹介でした。 |
乙女は何故第二ボタンを求めるのか? 典型的なマンガでの卒業式のシーンだと、「○○先輩、第二ボタンください」みたいなシーンがあります。 現在の乙女がこれをやっているかどうかは定かではありませんが、まぁ前はあったんでしょう。たぶん。 さて、この「第二ボタンください」ですが、一体何故「第二」なのでしょうか? これは、ボタンの位置が関係しています。 たいていの制服は(少なくとも当時の制服、おそらく学ランは)、第二ボタン…つまり、上から数えて二番目のボタンは、ちょうど胸の前に来ます。 胸の前…つまり、相手の心の前です。 そこで、相手の心(ハート)を取りたい(奪いたい)⇒胸の前(ハートの前)のボタンを取る⇒「第二ボタンください」と言う風になっていったのです。 第二ボタンが既に取られていて(盗られていて?)、じゃあ代わりにと第三ボタンや第一ボタンを貰っても、本来の目的から考えると、全く意味の無い行為なのです。 |
クシャミが何故「噂をされている」に結びついたのか? クシャミが出るのは誰かに噂をされているからだ、と言う俗信があります。 そして、「一誉められ、二そしられ、三くさされ、四風邪を引く」と言う言葉もあります。 クシャミ一回だと誰かが自分を誉めていて、二回だと悪口を言われていて、三回だとけなされていて、四回ならば、それは風邪を引いているのだ、と言う意味です。 もちろん科学的根拠はありませんが、なぜこのようなクシャミにまつわる俗信が生まれたのでしょうか? クシャミは、もともと不吉なものだと言う考えがありました。 いまならクシャミ一つぐらい、たいして気にもとめませんが、その昔は、それを神秘的なものと考えていたのです。 また、クシャミと一緒に霊魂が飛び出してしまう、とも思ったのです。 そこから、こんな俗信が生まれたのです。 ちなみに、クシャミの語源は清少納言に関係します。 清少納言はクシャミの事を「鼻ひる」と書いています。 「ひる」は「放る」、つまり放出すると言う意味です。 それがいつの頃から「くしゃみ」と呼ばれるようになったのですが、 それは「鼻ひる」が出た時に「くさめくさめ」と言っておまじないを唱えていたためで、その「くさめ」が「くしゃみ」になったものです。 また、清少納言は同時に『枕草子』に正月元旦のクシャミはおめでたいものとして喜ばれたと記しています。 ちなみに、クシャミは古典では「くさめ」と書かれています。 |
4月14日はオレンジデー?? 4月14日は、「オレンジデー」と言う日です。 さて、このオレンジデー。いったいどのようなものでしょうか? 察しがいい人は、だいたいわかるでしょう。 14日と言うぐらいですから、2月14日のバレンタインデー、3月14日のホワイトデーの仲間(?)です。 さて、この日はなにをする日かといいますと、 バレンタインデー、ホワイトデーを通じてラブラブになったカップルが、オレンジ色の贈り物をもって相手を訪問して仲良くする、というものだそうです。 これはおそらく、同時に「親公認のカップルになる」と言う目的もあるのでしょう。 言うまでも無く、この日に初デートをすると、吉だそうです。 企業戦略なのかなんなのかはさすがにわかりませんが、このような日もあるのです。 ちなみに、韓国では毎月14日に、「バレンタインデー」にちなんだ「○○デー」が訪れるそうです。 |
たった20分間だけ王様になった人物 多くの人があこがれる職業(?)、王様。 しかし、この王様になったというのに、20分後にはもう王様ではなくなってしまったと言う人物がいます。 ポルトガルのルイス・フィリペ皇太子がその人で、現時点(2002年)における王としての在位期間の最短記録者です。 では、何故そんなに短かったのでしょうか? 1908年2月のポルトガル。 ポルトガルの国王、カルルシュが銃弾に倒れ、皇太子のルイス・フィリペも頸動脈を切断する重傷をおいました。 父親である王の死後、ルイス・フィリペ皇太子が自動的に王位を継ぎました。 が、彼もやがて亡くなりました。 この時間が、たったの20分。 したがって、フィリペが王位にあったのは20分間と言うわけなのです。 ちなみに、在位期間が最も長い王様は、ギネスブックによると西タンザニアのンゼガ地方の族長、ムソマ・カニヨと言う人。 この人は8歳(1864年)の時に王位につき、99年後の1963年2月に亡くなるまで、その座にあったそうです。 一度でいいから、100年も王様をやってみたいものです(100年なんて1度しか出来ない? それもそうだ)。 |
インターネットの起源 現在、かなり普及して来たインターネット。 実はこのインターネット。なんと初めは軍事目的で生まれたのです。 時代は、アメリカと旧ソ連がかなり仲が悪かった時(正確な年代不明。どなたか知っていたら教えてください)。 当時のアメリカの通信網は、「中央集権型」と言い、通信の中枢(中心部)がありました。 どこかの通信機から発された信号は、一度この中枢に送られ、そこから目的の場所へ送られる、と言うシステムだったのです。 しかし、これだとここ1か所が破壊されると、全ての通信機能が完全に停止し、全く連絡が取れなくなってしまします。 そこでアメリカは、この中枢が破壊されても通信機能が停止しない方法を考え始めました。 そして、「通信装置が網の目のような通信ネットワークで繋がっていれば、1か所が切れても大丈夫だ」と言うことに気付きました。 つまり、「中枢」が存在せず、全てが網の目状になっているので、どこかが切れても別ルートを伝って、確実に目的の場所へ信号を送る事が出来るのです。 そして1969年末。 アメリカはコンピュータ2台をスタンフォード研究所に設置し、「ARPAネット」と言われるインターネットの前身が生んだのです。 この「ARPAネット」は、1983年頃には、軍事部門から切り離され、独自のネットワークを作るようになり、一般向けのネットワークとして広く使われるようになったのです。 そして、「インターネット」と言う呼び方が誕生し、現在日常的に使っているインターネットへと発展して行ったのです。 ちなみに、「ARPAネット」とは、 「アドヴァンスドゥ・リサーチ・プロジェクツ・アゲンシィ・ネット【Advanced Research Projects Agency Net】」の略。 また、「ARPA」は「アーパ」などと読みます。 |
世界で最も多い苗字はなに? 日本人の苗字の中で最も多いのは? こう聞かれれば、ほとんどの人が「佐藤」や「鈴木」、「田中」と答えるでしょう。 では、世界一多い苗字は? 日本では佐藤や鈴木が1位、2位を争ってますが、英語圏の中で最も多い苗字はスミス(Smith)と言われています。 しかし、人口で中国に勝る国は今(2005年)のところありません。 中国は、人はいっぱいいる割に、どういうわけか苗字の数が少なく(おそらく、子どもが多かったためでしょう)、 人口が約12億人もいるのにたったの500種類ほどしか苗字がないと言われています。 さて、その中で最も多い苗字とは…… 「張(おそらく『チョウ』)」さん。 中国ではこの「張」さんを筆頭に「王(ワン)」「李(リ)」「趙(チョウ/ジョウ)」の4つを「四大姓」と呼んでいます。 この「張」さんは中国の総人口の約1割を占めているといわれています。 つまり、1億2千万人以上の方が「張」さんであり、これは日本の総人口に匹敵します。 ちなみに、日本の中での苗字の順位は「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」「渡辺」「伊藤」「中村」となっていますが、実はこれらは公的な統計は取られておらず、実際のところどうなっているかわよくわかっていないそうです(中国も同じです)。 ではどうやってこれらの順位を出しているかと言うと、実は保険会社が自分の会社の保険に入っている苗字を非公式に発表しているだけなのです。 日本人で保険に入っていない人は滅多にいませんし、また、大きな保険会社ならかなりの人数の名前がそこに登録されています。 そこから、統計的にかなり正確な値を出す事が出来る、と言うわけです。 また、日本は世界で最も苗字の数が多いとも言われており、20万あるとも30万あるとも言われています。 |
放送後に台本が必要になる、奇妙な番組 番組の台本と言うと、普通は放送前に使うものですが、ものには例外がつきもの。なんと放送後に台本が必要になる番組もあるのです。 それはどんな番組かと言うと、料理番組。 放送から何日か経って(あるいは何週間も経って)、スタッフですらすっかり忘れた頃、視聴者から問い合わせが来るからです。 例えば、「○月○日の○○って言う料理の作り方を、教えてください」などとくるのです。 こんなのはまだいい方で、時には「たぶん○月にやった、○○なんとかって言う料理の作り方を教えてください」なんて言う、かなり曖昧なものも来るんだそうです。 その時、スタッフはそんな何月何日に何を作って、そしてその料理方法はなにか、なんて覚えているわけがありませんから、台本を見るわけです。 台本には、料理の作り方が書いてあるからです(場合によっては、レシピをそのまま見ることも)。 まぁ、ほんの1回の放送で全てを覚えろって言う方が、ちょっと無理ある気もしますけどね。 |
円周率「π」はどうやってもとめている? 円周率、というものがあります。 小学校中学年か高学年で円周率は「約3だ」と教わります(前は「約3.14」だった)。 そして、中学に入ると円周率は「π(パイ)」で表します。 さて、このように円周率とは「約」だの「π」だの、正確な数字で出しません。 その理由は、知っての通り、正確な数字がわかっていないからです。 円周率は3.14159265358979323846264338327950……………と、無限に続きます。 さてこの円周率。中には何百桁と暗記している人がいますが、どのようにしてもとめた数値なのでしょうか? その答えはいたって簡単。 突然ですが、円周…つまり、円の周りの長さとは、どうやって求めるか知っていますか? そう、「直径×円周率=円周」で求めます。 つまり、「円周÷直径=円周率」と言う式が成り立ち、これによって円周率を求めているわけです。 (と言うか、そもそも「円周率」の定義が「円周÷直径」であり、この式から「直径×円周率=円周」の式を導く) では、どうやって円周を求めているのでしょうか? それには、多角形を使います。 多角形とは、いくつもの角を持つ形。三角形に始まり、四角形、五角形、六角形…といくらでもあるアレです。 まず、とりあえず円を描きます。 次に、その円より大きい多角形を描きます。 この時、この多角形はただ円より大きければ良いのではなく、多角形の全ての辺が、円と接していなければなりません(これを「外接」と言います)。 つまり、円を周りから囲むような形で、多角形を描くわけです。 そして次に、円より小さな多角形を描きます。 こちらも先ほどの多角形と同じように、今度は全ての角が、円と接しなければなりません(これを「内接」と言います)。 多角形の全ての辺の長さ(外周)は、1つの辺の長さを辺の数だけ倍してやれば、求められます。 つまり、この2つの多角形の外周は、簡単に求められる訳です。 そうすると、円周は、外側に描いた多角形の外周よりも短く、内側に描いた多角形の外周より長くなります。 これを式で表すと、「外の多角形の外周>円周>内の多角形の外周」となります。 具体的には、例えば、外の多角形の外周が12、内の多角形の外周が6だとしたら、 円周は、12〜6までのどこかの数字になるはずです。 ここで、直径を2だとすれば、円周は直径×円周率なので、円周率をπとすれば、2π(2×πの意味)になります。 こうすると、「2πは12〜6までのどこかの数字」となります。 この場合はつまり、「πは6〜3までのどれか」と言うことになります。 もちろん、これでは円周率は全くわかりませんが、 この多角形の辺の数をどんどん増やしていくと、多角形はどんどん円に近い形になって行きます。 すると、さらに細かく円周を求める事が可能になり、求めて行けば行くほど、小数点以下いくらでも数字が出てくる、と言うわけです。 また、この他に、指数関数や三角関数、積分などを使って求める方法もありますが、やや高度なので(高校以上の内容)ここでは省きます。 ただ、ひとつ面白くてわかりやすいπを求める公式があるので紹介します。 要するに、「奇数分の1を1から引いて足して引いて足して…を繰り返し、それを4倍する」と、πになるわけです。 「1」も「1分の1」なので、「奇数分の1」を順番に書いて、間に−+−+…を繰り返し書けば、公式になります。 (何故こうなるのか、と言うのは積分を使わないと説明できないので、省きます) ちなみにこの円周率。求めてなんの得になるかと言うと、実はなんの得にもなりません。 「え? じゃあどうして求めるかって? そこに円(縁)があるからさ」 なんて、つまらないことを言う人がいないことを願います。 |
その昔、清水の舞台で行われていた事とは? 京都にある「清水寺(きよみずでら/決して「しみずでら」ではない)」は有名です。 「清水の舞台から飛び降りる」なんてことわざもあります。 さて、清水の舞台は、「舞台」と呼ばれているぐらいですから、昔、あるイベントが行われていました。 それはなにかと言うと、いまで言う「ファッションショー」。 もちろん、当時はドレスなどなく、全員着物。 ありとあらゆる物を駆使して着物を装飾し、「ファッションショー」に出たんだとか。 その服装が「派手すぎる!!」と言われて処罰を受けた女性もいたぐらいです(まぁ、そのときは本当にすごい物を使っていたらしいですが)。 ちなみに、清水の舞台から地面まではおよそ11メートル。 11メートルなら、下も木ばかりですし、運がよければ飛び降りても大怪我ですみます。 実際に飛び降りた人も過去に大勢いるそうですが(理由不明)、大半は生き残ったそうです。 ただ、清水の舞台からは飛び降りたのは生きた人間ではなく、実際には死体を落とした、と言う説もありますが…。 |
トイレが重要文化財!? 重要な文化財だと認定された物には、「重要文化財」の称号(?)が与えられます。 実は、京都のとあるトイレがこの重要文化財に選ばれているのです。 京都の東山区に東福寺と言うお寺があります。 臨済宗(りんざいしゅう)東福寺派の大本山で、京都五山の一つに数えられる大寺です。 その東福寺のなかにある、「東司(とうす)」と言うものが、重要文化財の一つになっています。 「東司」は切妻造り(きりづまづくり/直接屋根が無く、母屋から延長された屋根のある造り)本瓦ぶき(ほんかわらぶき/丸い瓦と平らな瓦を交互に組んだ屋根)の細長い建物(13m×7m)ですが、 内部には左右両側に36個の壺が並べられていて、通称「百雪隠(ひゃくせつちん)」と呼ばれていました。 この「雪隠」とは、現在で言うトイレ。 すなわち、「東司」はお寺で修行するお坊さん達のトイレだったのです。 この「東司」は室町時代の建築であり、弾宗寺院のトイレの古い様式を伝える貴重な建物であることから、重要文化財に指定されたのです。 トイレが重要文化財とは、少し驚きです。 ちなみに、臨済宗とは禅宗の一種。禅宗とは早い話が座禅を行う宗教のことです。 |
アメリカにいるのに何故「インディアン」? アメリカ人のことを、英語でアメリカン【American】といいます。 しかし、そのアメリカの先住民のことはインディアン(アメリカ−インディアン)といいます。 「インディアン」とは、アルファベットで書くと【Indian】。「インド人」と言う意味です。 では何故「アメリカン」ではなく「インディアン」、インドの人なのでしょうか? これはコロンブスがアメリカ大陸を発見した時までさかのぼります。 詳しいことは学校で習ってもらいますが、コロンブスはスペインの女王、イサベル1世の依頼(援助)で、インドへの別の行き方を探していました。 当時、スペインでは香辛料を作る事が出来ず、全てインドから輸入していました。 しかし、インドから直接輸入することは出来ず、途中にある色んな国を通過する必要があります。 そしてその分、色んな国の輸送料金が加算され、スペインに着く頃には、ものすごく高価な物になっていました。 そのため、「安く香辛料を手に入れる方法」として編み出されたのが、「スペインから西へ西へ行く」と言う事。 この頃から「地球は丸い」説が出始めたので、「ならば、スペインから西へ真っ直ぐ行けば、インドへ着くはずだ」と考えたのです。 そこで、コロンブスはスペインを西に向けて出発。 すると、アメリカ大陸を発見しました。 しかし、当時はアメリカ大陸の存在など知られていなかったので、コロンブスはそれを「インド」と勘違い。 そのため、そこにいた先住民をインドの人、すなわち「インディアン」と呼んだのです。 ちなみに、この大陸がインドではない別の大陸だと判明したのは、コロンブスを疑い調査に出かけたアメリゴと言う人のおかげ。 アメリゴは、コロンブスが発見した大陸を「インドではない」と断定し、その大陸に自分の名前をつけたのでした。 |
お墓参りでお墓に水をかけるのは何故? お盆などでお墓参りに行くと、花や線香、マッチなどの他に、水を持っていきます。 そして、必ず墓石に水をかけて帰ります。 さてこの水をかける行為。いったい何故なのでしょうか? これは、やはり仏教に関わってきます。 仏教によると、死後の世界の1つに「餓鬼道(がきどう)」と言う物があるそうです。 餓鬼道へ行くと、絶えず飢えと渇きに苦しめられる亡者となってしまう、と言うのです。 そこで、「御先祖様の誰かが餓鬼道で苦しんでいるかもしれない」と思い、 御先祖様に「どうか渇きを癒してくださいね」と墓石に水をかけたのが始まり、と言われています。 お酒をかける人もいますが、故人がお酒が好きなら、その人を慰められるという意味で、良いこととされています。 ただ、こうした宗教的意味合いがある事なのですが、あまり水を掛けると、墓石がすぐに傷んでしまうそうです。 |
日本最古の税とは? 現在の日本国民には、納税の義務があります。 これは、なんらかの収入を得たとき、その一部を税金として国に支払う、と言う義務です。 現在の税はお金ですが、江戸時代にはお米が税となっていました。 では、日本最古の税はなんでしょう? 時代は8世紀、西暦701年(大砲1年)にまでさかのぼります。 西暦701年、日本古代の基本法典、「大宝律令」が制定されました。 実はここに、現在の税とほとんど変わらない仕組みが記されているのです。 そして、その税とはなんと「海苔(ノリ)」。 そう、当時の国民はノリを納めていたのです。 これは大臣達の給料ともなっており、当時にとって、ノリとはかなり高価なものだったようなのです。 かといって、今となっては納税をノリで誤魔化すことはできません。潔く諦めてください。 |
富士山の初雪とは、いつのことか? 東京や大阪では、その年に初めて降った雪を、初雪と言います。 では、一年中雪が降っているような富士山では、いつ降った雪が初雪になるのでしょうか? 富士山の初雪は特殊で、「その年の最高気温を観測した後、初めて降った雪」を、初雪としています。 つまり、真夏に降っても、その後にさらに気温が高くなって最高気温を記録すれば、それは初雪とはならず、その次の雪が初雪となります。 だから、夏の間に雪が降ると、夏が終わってから「そうか、あれが初雪だったのか」となるわけです。 まぁ、たいていの場合、どれが初雪か、夏の間に推測をつける事は可能なようですが。 |
年賀状のルーツ 正月元日になると、各家に年賀状が届けられます。 この年賀状、このような風習は、江戸時代からありました。 お正月になると、知人の家に挨拶回りに行っていたのですが、さすがにあまりに遠いと歩いては行けない…。 そこで、遠い知人には挨拶文を書き、飛脚に送ってもらっていました。 しかし、それは若干料金が弾むため、一般にはそこまで広がりませんでした。 ところが明治6年(1863年)、明治政府が値段の安い郵便はがきを販売。 すると一般にも年賀状の風習が広まっていきました。 これが急激に広がり、明治39年(1906年)、ついに元旦に「年賀はがき」としてはがきが配達されるようになったのです。 |
幽霊には何故足がない? 実在するかどうか自体不明なのですから、この疑問は前提がおかしいと言えなくもないですが、まぁともかく絵に描かれる幽霊はみな、足がありません。 何故でしょうか? この「足無し幽霊」ですが、誕生したのは意外と最近で江戸時代中期のこと。 それ以前の幽霊画は、生きていたころと同じ形をしていたので、ちゃんと足がありました(ちなみに、その時代の文学作品は、『四谷怪談』や『番長皿屋敷』)。 では、誰がこの「足無し幽霊」を確立させたのでしょうか? この「足無し幽霊」を最初に描いたのは、江戸時代の写生画家、円山応挙(まるやまおうきょ/1733〜1795)と言われています。 円山応挙が描いた「足無し幽霊」の絵の題名は、「反魂香之図」。 円山応挙の絵は歌舞伎にも影響を与え、幽霊の役の時には長い裾の着物を着て、足を見せないような演出になっていきました。 ただ、円山応挙の「反魂香之図」ですが、この「香」と言う字には「煙」と言った意味合いがあります。 そのため、「反魂香之図」では、「足が無いのではなく、足が『見えない』のではないか?」とも言われています。 また、「反魂香之図」を書いたのが、本当に円山応挙なのかどうかも、よくわかっていません。 それと、「幽霊画家」として有名で、足無し幽霊を確立したのは円山応挙ですが、足無し幽霊を最初に描いたのは、円山応挙では無いようです。 「浄瑠璃」と言う、室町時代からある語り物(物語を歌って聞かせる形式の物)があります。 その浄瑠璃の中に、「花山院(かざんいん)きさきあらそひ」と言う物語があります。 浄瑠璃には、その浄瑠璃を文字で記した「浄瑠璃本」と言うものがあり、「花山院きさきあらそひ」の浄瑠璃本の挿絵に、既に足無しの幽霊が登場しているのです。 これは、円山応挙が生まれる1733年の60年前、1673年の物です。 この絵が、日本初の足無し幽霊と言われています。 ちなみに、今回登場した円山応挙さん。 明・清(今の中国)の写生画や、西洋画の遠近法を研究し、遠近・写実を取り入れた新様式を確立した人でもあります。 代表作は「保津川図屏風」「雪松図屏風」などです。 |
北朝鮮のニュース番組。何故背景が真っ青? 最近(2003年)話題の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)。 ニュースなどで、たまに、北朝鮮のニュース番組が流されます。 その背景は何故か不気味なほど青。 金正日総書記が青が好きなのかと思いきや、そうではありません。 どうやら、以前金正日総書記が外国に視察に行った際、そこでテレビ番組の収録(或いは生放送)を見たらしいのです(どこの国か不明。どなたか知っていたら教えてください)。 そして、その時の背景が、完全な真っ青。 そこで、金正日総書記が「そういうものなのか」と思って、あのようにした…んだそうです。 では、何故その国はブルーバックだったのでしょうか? 実は、金正日総書記は知らなかったようですが、青い背景とは、そこに合成を入れる(差し替える)ためのもの。 本来は、その青い部分を抜いて、そこに背景を差し替えるのです。 ですので、青い服を着ていくと、体が透けるんだとか…。 ちなみに、日本でも背景に何か入れる場合は、ブルーバックにして撮影されています。 |
学校のチャイムの由来は? キーンコーンカーンコーン…でお馴染みの学校のチャイム音(まぁ、学校によって、違うところもあるでしょうけど)。 さて、このチャイム。いったい由来はなんでしょう? 意外な事に、その由来はイギリスのロンドン。 ロンドンの中心地に位置するイギリスの議会(日本で言う国会議事堂)。 その場所は、元々はウェストミンスター宮殿があったところで、議事堂のそばには、ビッグ・ベンと呼ばれる時計塔があります。 この時計は巨大な鐘を備えており、それが時刻を教えてくれるのです。 その時鳴る音楽が、ヘンデルの作曲と言われている、「ウェストミンスターの鐘」。 これが、学校のチャイム音の由来なのです。 では、何故これが日本の学校のチャイム音になったのでしょうか? 舞台は終戦後の日本。 東京・大森のとある中学校の先生が、始業・終業の時間を知らせるベルの音があまりにうるさい、と思っていました(当時は、「ジリリリリリリリリ」と言う轟音だった)。 そこで、その先生が何か代わりになるものはないかと考えていると、友人が、戦時中に臨時ニュースに使われていた鐘の音はどうかとアドバイスしました。 その鐘の音こそ、先ほどの「ウェストミンスターの鐘」で、それがやがて全国に広まっていった、と言うわけです。 …何故日本軍が、臨時ニュースに外国の音楽を使っていたかは、知りませんが……。 |
サッカーの試合で、選手が子ども達と手を繋いで入場するのは何故? サッカーの試合の前に、選手と子ども達が手を繋いで入場することがあります。 あの子ども達は、「エスコートキッズ」と呼ばれています。 エスコートキッズの選考基準には、特に規定はありません。 それぞれの主催者側の判断により、少年サッカーやファンクラブの会員から選ばれています。 その目的は、サッカーの振興や、未来のサッカー選手の育成、と言ったような意味が込められているのです。 ちなみにエスコートキッズの催しはJリーグ発足当時から行われていて、その時から選手とおそろいのユニフォームを着て入場しています。 |
4月1日は江戸時代でも特殊な日 4月1日はご存知エイプリルフール。ウソをついても許される日です。 これはもちろん、元々ヨーロッパの仕来り。 しかし、江戸時代にも、4月1日はある特別な日でした。 何の日だったかと言うと、「不義理の日」。 これは、日ごろご無沙汰している人に手紙を書き、不義理(義理を欠く事。特に金を借りたまま返さない事)を詫び、最近の様子を尋ねる、と言う日です。 「ウソをつく」と言う現在の4月1日と比べると、えらい違いです。 ちなみに、この不義理の日が、こんなエピソードを生みました。 赤穂浪士(あこうろうし/47人の元赤穂藩の浪士。「忠臣蔵」を起こした人々)の1人に、堀部安兵衛(ほりべやすべえ)と言う方がいました。 彼は、高田馬場(たかだのばば)と言う場所で、叔父の菅野六郎左兵衛門が多数の侍たちと決闘している所に割って入り、決闘を止めました。 この叔父である菅野六郎左兵衛門は、事前に決闘日時と場所を手紙で堀部安兵衛に知らせていたのですが、その手紙が届いたのが運悪く4月1日。 そのため堀部安兵衛は、どうぜ不義理の日の手紙だろうと思って封を切らずに放っておいたため、決闘に出遅れた…と言うことです。 現在も、本当のことを言ったのに嘘だと思われたりするし、そう言った意味では、今も昔もよく似た日ではあります(?)。 |
イスラム教のシーア派とスンニ派。その違いは? 最近(2004年4月)ニュースでよく登場する「イスラム教」。 そしてこのイスラム教には、シーア派やスンニ派などの、多くの分派があります。 ニュースなどでよく聞くのは、このシーア派とスンニ派の2つでしょう。 では、両者の違いは、なんでしょうか? イスラム教は、元々分派などありませんでした。 それが何故分かれてしまったかと言うと、その発端は始祖(宗教を始めた人)、マホメットの死です。 イスラム教の始祖マホメットは、後継者を指名しないまま、死んでしまいました。 すると当然、その後継者をめぐって、同じ宗教内でもめ始めたのです。 そして、結果的にイスラム教内にいくつもの分派を作ることになったのです。 その中で、最も信者が多い派が、「スンニ派」。 「スンニ」とは、「範例(はんれい/模範となる物の例。一番正しい者。向こうの言葉で『スンナ』)に従う」と言う意味の言葉で、「始祖マホメットを絶対神とする」と言う考え方です。 つまり、「ヘタな後継者などいらない。マホメット様を崇拝せよ」と言うわけです。 一方、「シーア派」は、イランやイラクの一部を中心とする少数派。 シーア派は、「イマーム」と呼ばれるマホメットの後継者の宗教的権威を絶対とします。 この後継者の選抜方法は、「始祖マホメットに容姿その他が似ている」と言うだけ。 つまり、「姿が似ているのだから、マホメット様の生まれ変わりに違いない。この方を崇拝しよう」と言うわけです。 ちなみに、1979年に起こったイラン革命(イスラム革命)。 これは、シーア派の何十代目かのイマーム、ホメイニが指導した革命。 イラン革命は、彼らにとっては「神がご指導なさった革命」と言うわけなのです。 |
辞書の校正、その現場 本などを出版する際行われるのが「校正」と言う作業。 これは、内容に誤りが無いか、誤植(誤字)は無いか、をチェックする作業です。 たいていの文庫本は軽く数百ページを超し、それでも校正はとても大変だと言います。 では、それが辞書だとどうなるのでしょうか? ここでは、日本の代表辞書(?)『広辞苑』を例にします。 まず、チェックすべき項目は20万件以上。 それをなんとたった20人程度で校正するので、単純計算で1人当たり1万件以上のチェックをしなければなりません。 これは、1人の仕事量としてはかなりの量。 それも、天下の『広辞苑』ともなると、連日内容についての問い合わせや抗議も多く寄せられると言うことですから、担当者にとって、気を抜けない作業が続きます。 そして、内容のチェックが終わったら、次は誤植のチェックです。 その回数は最低6回と言われ、多い時は8〜9回に及ぶと言います。 「そんなの必要なのか?」と言う気もしますが、ここの雑学も普段滅多に見直しをしないため、たまに読み返すと誤字脱字のあまりの多さに我ながら驚きます。 それを考えれば、最低6回の見直しもすんなりとうなずけます。 もちろん、こういう作業にはかなりの年月を必要とします。 岩波書店が広辞苑第4版を出した7年後に第5版を出した時には、 「たった7年とはなんたるスピード!」 と出版業界で驚きの声があがったほどです。 ちなみに、第1版刊行と第2版刊行の間は、14年。 第2版と第3版の間も、14年。 第3版と第4版の間が、8年、となっています。 なんにせよ、日進月歩の発刊を続けるうち、光陰矢の如く半世紀も経っているのです。 …辞書の雑学なだけに、普段使わないような言葉を使ってみました。 参考文献;岩波書店【http://www.iwanami.co.jp/index.html】 |
聖火はどうやって海を渡すか? オリンピックと言えば、当然聖火です。 さてこの聖火。世界中の聖火ランナーの手に渡り、世界中を走るわけですが、その際、当然海を渡ります。 2000年開催のシドニーオリンピックでは、ランナーが聖火を持って海中を泳ぐ、と言う史上初の水中聖火移動を行いましたが、まさか大陸間をこんなことして運ぶ事は出来ません。 ではどうやって運ぶかと言うと、人間と一緒に飛行機や船などで運ぶのです。 ただし、飛行機や船は、通常は火や爆発物、機内で燃え出す危険性のある物は、飛行機で運ぶことが禁止されています (日本では航空法第86条で禁止されています)。 では、聖火はどうやって飛行機に乗せているのでしょうか? 実は、禁止されているとは言えど、「爆発物等輸送承認申請書」と言う物を国土交通省に提出し、許可を得れば持ち込んでも良いことになっています (ただし、これは日本の場合。他国はどうやって許可を得るか知りません。どなたか知っていたら教えてください)。 とは言えど、もちろんあの燃え盛る炎をそのまま持ち込むわけではなく、カンテラなどに移し、小さな火にしてから乗り込みます。 また、1964年の東京オリンピックなどでは、消火器がセットされたカンテラに移して運んだんだそうです(しかし、聖火を消してしまっていいのだろうか?)。 また、聖火は貨物扱いはされず、“1人”分の座席を与えられて、移動します。 このように、小さな工夫を凝らし、ギリシアのオリンピアで点けられる聖火は、選手達の手に託され、安全かつ確実に開催地まで運ばれていくのです。 ちなみに、聖火リレーが始まったのは1936年のベルリンオリンピック大会(第11回オリンピック)。 この大会は、同時に初のテレビ中継もされましたが、「ヒトラーの大会」などと皮肉られた大会でもありました。 この時期だけは、ユダヤ人の迫害が一時停止されたと言うことで、一応は平和の祭典、と言うことになってはいますが。 しかし、この3年後にはヒトラーは第2次世界大戦を引き起こし、その翌年予定されていた「平和の祭典」は、大戦のため、中止となりました。 参考文献;オリンピック年表【http://village.infoweb.ne.jp/~fwns0200/orinpic.html】 ベルリンオリンピック大会【http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/yougo/berlinoly.html】 シドニー2000【http://www.wave.au.com/australia%2Dnow/sydney2000/default.htm】 |
東京ドームの大きさは? とても広い面積を持つ物の大きさ比較でよく出されるのが、「東京ドーム○個分」と言う表現。 例えば東京ディズニーランドなら、東京ドーム約17個分の広さ、と言った具合です。 しかし、そう言われると疑問になるのが「東京ドーム“1個分”」の広さ。 果たしてどれぐらいなのでしょうか? 単刀直入に言うと、4万6755m2。 だいたい、サンリオピューロランドと同じぐらいの広さです(サンリオ…は4万5892平方メートル)。 他に基本データを挙げますと、 容積が約124万m3。 グラウンドから天井までの高さが61.69メートル。 グラウンドの面積が1万3000m2。 両翼(バッターボックスから一塁と三塁に伸びている直線)の長さがそれぞれ100メートル。 ホームベースからセンターまでが122メートル。 フェンスの高さが4メートル、です。 こうしてみると、意外と小さい値が両翼。 小学校でやる100メートル走で、簡単に走り抜けてしまう長さです。 そして、東京ドームの直径は約244メートルで、東京ドームのドーム周りが約766メートルとなっています。 たいてい、テレビなどで「東京ドーム○個分」と言う大きさは、最初に挙げた4万6755平方メートルの事です (番組によっては、広さを4万平方メートルとして単純計算している可能性もありますが)。 ちなみに、最初に例えに挙げた東京ディズニーランドの面積は80万1000平方メートル。 ですので、ちゃんと計算すればここの広さは東京ドーム17.13185755…個分となります。 なお、わかりやすいように一覧の雑学の部屋にて、表にしました。 参考文献;東京ドームシティ公式サイト【http://www.tokyo-dome.co.jp/】 |
競泳の自由形、水中を走ってもいいのか? 水泳の競技、競泳の数ある種目の中に、「自由形」と言う物があります。 どんな形で泳いでもいいのですが、選手たちは一番速いクロールで泳いでいます。 ではこの自由形。「自由」と銘打っているからには、水中を走る事もありなのでしょうか? 実は、これは反則。 「自由」と言っても、それは水泳の基本的ルール内での話。 水泳競技では、プールの底に足がつく事は認めていますが、歩いたり、再び泳ぐ場合に底を蹴ったりすると、失格となるのです。 ですので、自由形とは言えど、水中を走るのは認められていないわけです。 …でも、実際には水中を走るよりも、泳いだ方が格段に速いのですが。 |
アラスカでの冷蔵庫使用法 アラスカと言えば、アメリカ合衆国49番目の州の事。 アメリカ大陸の北西に位置しているため、とても寒い場所です。 こんな場所なら、冷蔵庫なら要らない…と思いきや、なんとアラスカでも立派に冷蔵庫が役立っているのです。 しかし、さすが寒いだけあって、その使用法は全く逆。 普通は「冷蔵庫」として使う冷蔵庫も、アラスカでは「温蔵庫」として使うのです。 どう言う事かと言うと、こう言う事。 アラスカでは、あまりにも気温が低いために、食べ物がすぐに凍り付いてしまい、一回一回解凍しないと食べられませんでした。 そこで、冷蔵庫に食べ物をしまって「温存」します。 すると便利な事に、食べ物を解凍せず、食べたいときにすぐに食べ物を食べることが出来るのです。 アラスカでは、意外な方法で冷蔵庫が使用されているのでした。 |
校長先生になれる人となれない人は、何が違う? どんな学校にも、必ず先生はいます。 そして当然、校長先生(あるいは学園長や学長、などなど…)がいます。 ところで、学校に何人先生がいようとも、校長先生は絶対に1人。 いったいどうすれば、校長先生になれるのでしょうか? 長く勤めていれば、必ず校長先生になれる、と言うわけではありません。 先生(教員)は、地方公務員なので、各都道府県によって、校長先生になれる過程は若干違いますが、ここでは東京都を例にしましょう。 校長先生になるためには、2つの試験に合格する必要があります。 1つは教頭試験。もう1つは校長試験です。 東京の場合、12年以上の教員経験があり、37歳以上50歳未満、と言うのが、教頭試験の受験資格。 そして、教頭になって3年以上経つと、校長試験を受けられるようになります。 つまり、最短で行けば40歳で校長になれる計算になります。 その試験内容は、論文と面接だけで、学科試験(国語、数学、英語、社会、理科、などなど…のテスト)はありません。 教育に関してどう考えているか、などの問題が出るようです。 倍率は、教頭試験で5倍から6倍。校長試験は2倍前後の倍率になっています。 ただし、試験に合格してもすぐには教頭・校長にはなれません。 この試験に合格して得られるのは、「資格」のみ。 実際には、誰かが定年で辞めるなどして、空きが出なければ、いつまで経っても平教員のままです。 ここで物を言うのが、何とコネ。いわゆるゴマすりです。 常日頃から教育委員会の人と仲良くしていたり、先輩の校長と仲良くしておくなど、軽いワイロ的な事をやっています(もちろん、この程度なら法には触れません)。 学閥(がくばつ/出身学校が同じ人々などが作る、他の人たちを受け入れない集団)までちゃんとあります。 さらには、教頭試験のための塾まであるそうで、結構なお金もかかるようです。 さて、そして気になる給料はと言うと、教頭・校長と言うのは、いわゆる管理職。 民間企業と同じで、管理職には手当てが出ます。 教頭で10%、校長で15%が、給料にプラスされます。 見た目は暇そうなのに、給料が15%もアップするとなると、いかにも楽そうな仕事。 もちろん、何か事故があった場合には、責任を取らせられるのですが…。 しかし、そうは言っても、校長をやると、定年後、天下り(あまくだ-り/退職後、関係の深い会社に引き抜かれ、いきなり高い地位に就くこと)が多いそうで。 やっぱり、校長先生はお得な商売、と言えなくも無さそうです。 …事故さえ、無ければ。 |
「小春日和」とは? まず、そもそも「小春日和」が読めない人がたまにいます。「こはるびわ」ではなく、「こはるびより」です。 この小春日和は、昔からよく笑い話に使われてきました。 すなわち、「小春日和とはいつの季節か?」です。 「小春」とついているぐらいなので、「春」と言いがちですが、正解は「晩秋から初冬」。 秋の終わりや、冬の初めに訪れる、「春のような陽気の空模様」の事を、「小春日和」と言います。 元々、10月頃の事を、「小春(一応『こはる』ですが、『しょうしゅん』とも)」と呼んでいました。 現在我々の使っているカレンダーは、全て「太陽暦(新暦)」と言う物を使っています。 それに対し、「小春」と呼ばれていた時代は、「太陰暦(旧暦)」を使っていました。 太陽暦と太陰暦にはずれがあるので、太陰暦での10月頃と言うのは、現在の11月頃、と言う事になります。 本当は太陽暦と太陰暦は2ヶ月ぐらいずれているのですが、「小春」が一月しかずれていないのは、おそらく「頃」と言う微妙なニュアンスを用いているからでしょう。 そして、「日和」とは、天候や、空模様の事を意味します。 なので、「小春日和」とは、11月頃、つまり秋の終わりや、冬の初めに訪れる、春のような穏やかな空模様の事を言うのです。 ちなみに、小春日和な日の事や、その日差しの事を、「小春日」。 小春日和な空の事を、「小春空」。 小春日和が多い時期の事を、先ほども出てきた「小春」。 そして小春の時の、静かな海の事を「小春凪(こはるなぎ)」と言います。 もちろん全て、晩秋のとある日の事です。 |
何故時計は右回りなのか? 普通の時計は、12時が真上にあり、3時が右、9時が左にあります。つまり、右回りです。 たまに左回りの時計もあるようですが、自分自身は見たことがありません。おそらく、かなり特殊な物でしょう。 しかし、一体何故右回りなのでしょうか? もちろん、そういう決まりがあるわけではありません。 その理由は、日時計に関係する、と考えられています。 最近は飾りとしてしか日時計を使いませんが、歯車のない太古では、日時計は重要な道具でした。 太陽は、東から出て南を通り、西へ沈みます。 つまり、日時計の影(=針)は、西から北を通り、東へと傾きます。 これは、言うまでもなく右回り。 ここから、今ある機械時計は、みな右回りなのでは、と言われているのです。 しかし、南半球では太陽は北を通ります。 つまり、東→北→西と太陽が進むのです。 そうすると、日時計の影(=針)は、西→南→東と通り、左回りになります。 しかしかといって、南半球にあるオーストラリアの時計は左回りかと言うと、そうでもありません。 何故でしょうか? それは、機械時計を作った所が、イタリア、オランダ、スイス、ドイツ、イギリスなど、全て北半球にある国だったからと考えられています。 北半球なら当然日時計は右回り。 よって、一部例外を除いた全ての時計は、右回りに回るのだ、と考えられています。 日時計が作られたのが、紀元前2000年。機械時計が作られたのが14世紀の事。 およそ3300年もの間親しんできた太陽の影を、無意識のうちに機械時計に組み込んだ、と言うわけです。 |
「各駅停車に連絡致します」って、何をやってる? 駅のホームで電車を待っていると、実に様々なアナウンスが流れます。 そのうちの1つが、これ。 「この電車は、○○駅で各駅停車に連絡致します」 さて、この「連絡」とは何をやっていて、そして何故わざわざ駅のアナウンスで言うのでしょうか? あの「連絡」と言うのは、実は何かを「伝える」と言う意味の連絡では無いのです。 では何を意味するかと言いますと、「乗り換え出来ますよ」と言う意味。 つまり、「○○駅で各駅停車に連絡致します」と言えば、 「○○駅で各駅停車に乗り換え出来ますよ」と言う意味になっているのです。 「なら初めからそう言ってくれよ」と言う気がしますが、何故かこう言っているのです。 この放送をわざわざする理由は、言うまでも無く、お客が早く目的地へ着けるよう、知らせてくれているのです。 急行電車の場合は、どこでも乗り換えられますが、各駅の場合は、急行に乗り換えられない駅もあります。 「どこなら急行に乗り換えられるか?」を伝えると同時に、「より早く各駅に乗り換えられるのはどこか?」も伝えているのです。 つまり、これから各駅停車に乗る人が、仮にC駅で降りる予定だとします。 その途中、A駅とB駅で急行に乗り換えられるとしましょう。 その時、「B駅で急行に連絡致します」と言うアナウンスが流れれば、C駅に行くには、B駅で急行に乗り換えるのが最速になる、と言うわけです。 また、B駅で降りる予定の場合は、A駅で急行を待つのも、各駅のままB駅に行くのも、同じ時間で行ける、と言う事になるわけです。 それを伝えるために、何故「連絡」と言う言葉を使っているのかはわかりませんが、ともかくそう言う意味なのです。 (今回の「連絡」は、「東京急行電鉄(通称;東急)」と言う私鉄で流れるアナウンスなので、他の路線では耳に出来ないかも知れません。 東急は、東京や神奈川を中心とした私鉄です) 協力;東急お客さまセンター【http://www.tokyu.co.jp/】 |
世界で最初に日付の変わる国はどこか? どこの国でも、年末にはカウントダウンがなされ、新年の祝いをします。 では、世界で一番初めに日付が変わるのは、一体どこの国でしょう? 言うまでも無く、それは、日付変更線のすぐ西にある国、と言う事になります。 そこがどこかと言いますと…「トンガ王国」と言う国。 トンガ諸島を占める王国で、首都はヌクアロファ。 2003年の人口は、およそ10万2千人。 住民は、ほとんどがポリネシア系のトンガ族、と言う人たちで、わずかにミクロネシア系が混じっています。 1900年にイギリスの保護領になりましたが、70年に独立しました。 面積は697km2。 ほぼ100%がキリスト教で(1845年に、キリスト教のトゥポウ一世が統一している)、公用語は英語。 一部、トンガ語が使用されている、と言う事です。 通貨単位は「パ・アンガ」。「T$」と表記されるようです(T$は、トンガドル、と読むと思われますが、正確にはわかりません。どなたか知っていたら教えてください)。 ちなみに、2002年には86人のトンガ人が日本に来ており、2003年10月にトンガにいた日本人は、71名です。 トンガ王国があるのは、世界地図で、日付変更線が変な風に曲がっているところ。 もしあそこが曲がっていなければ、トンガ王国は日付が変わるのがかなり遅い国になります。 ただ、「世界で最初に日付が変わる国」は、このトンガ王国ですが、国全体でなければ、別なところの方が、早く日付が変わります。 それは、「チュコト半島」と言う半島。 シベリアの北東にある半島で、世界地図で言えば、ロシアとアラスカがギリギリまで接近している、あの部分です。 チュコト半島の中でも更に早く日付が変わるのは、ウエレンにあるデジネフ岬。 ここが、世界で一番初めに日付が変わる場所、と言えるでしょう。 ちなみに、デジネフ岬と日本の時差は、だいたい3時間半程度。 日本の標準時が東経135度で、デジネフ岬が西経170度です。 普通、日付変更線は東経西経共に180度でぶつかるところを通っていますが、 前述のトンガ王国と同じく、日付変更線が曲がっているところにあるため、デジネフ岬は世界一早く日付が変わる場所となれるのです。 ただ、世界地図で確認したところ、デジネフ岬より更に日付変更線に近いところに、小さな島を発見しました。 調べたところ、この島の名前は「ビッグダイオミード島」と言う、ロシアの一部だそうです。 ちなみに、日付が変わるのが最も遅い国は、サモア独立国。 前述のトンガ王国の北東にある国です。 この、世界一早く日付が変わる国、トンガ王国が新年を迎えた時、 日本は大晦日の午後8時ぐらい、デジネフ岬は、既に1月1日になってから30分も経過し、 世界標準時であるロンドンは正午頃。そして西サモアでは、1年の最後の日が、やっと始まります。 参考文献;外務省【http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html】 |
鬼ごっこは、鬼のマネなのか? いわゆる「ごっこ遊び」と言うのは、何かのマネをした遊びの事を指します。 では、ここで疑問になるのが、「鬼ごっこ」。 1人の鬼が、逃げ回る人たちを追い掛け回す、と言う単純なゲームですが、あれは果たして鬼のマネなのでしょうか? 実を言うと、あれは「鬼に関する儀式」のマネ事なのです。 その儀式の名は、「追儺(ついな)」。 706年に初めて行われた儀式で、朝廷(706年は、飛鳥時代の終わり頃)の年間行事の一つでした。 大晦日の夜に行い、「悪鬼(あっき)」を追い払うための儀式でした。 悪鬼と言っても、もちろん本物の鬼ではなく、疫病や、災害などの災難の例え(象徴)です。 さて、この「追儺」のルールは至極簡単です。 まず、「舎人(とねり/早い話が召し使い)」が鬼に扮し、内裏(だいり/早い話が、天皇の住処)の四門を巡って走り回ります。 そして、大舎人長が、「大儺(たいな)」と呼ばれる物に扮し、それを追いかけます。 大儺は、黄金四つ目の仮面を被り、玄衣朱裳(げんいしゅしょう)を着て、手に矛と楯を持ち、鬼を追いかけました。 玄衣朱裳とは、全体は赤や、やや黄色がかった黒で、袖だけ赤色の服の事です。 この大儺のやる「鬼を追う役」の事を、「方相氏(ほうそうし)」と呼びました。 そして、大儺の後ろを、紺色の布衣(ぬのぎぬ/食物繊維で織った布を使い、作った服)と抹額(まっこう/紅色の鉢巻)を着けた子ども達がついて走り回りました。 この子ども達を「小儺(しょうな)」と呼んでいました。 そして、鬼が大儺と小儺に追い掛け回され、四門を回り終えると、いよいよ儀式のクライマックス。 殿上人(てんじょうびと/殿の上にいる人。そのまんま)が、舎人扮する鬼を、桃の弓と葦(アシ)の矢で射るのです。 この矢が鬼に当たると、儀式は終了。これで1年の災厄を追い払い、来年もまた、平穏に暮らす、と言うわけです。 そして、現在の「鬼ごっこ」。 これは、この追儺の「鬼を追いかける」と言うのが、いつの間にかに「鬼が追いかける」に変わり、現在に至っているのです。 つまり、鬼ごっこの正しい姿は、「1人の鬼が大勢の人を追いかける」のではなく、「大勢の人が1人の鬼を追いかける」と言うことになります。 とても子どもの遊びとは思えませんが…。 なお、この追儺や、追儺に似た行事は現在も各地で行われていて、 京都の吉田山にある「吉田神社」では「鬼やらい」と言う名前が、同じく京都の八幡市にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)では「鬼やらい神事」と言う名前がそれぞれつけられています。 ちなみに、この「追儺」から発生した遊びが、もう1つ、現代にまで受け継がれています。 それは、「節分の豆まき」。 本来、節分とはお正月にやるもの(と言うか、昔と今とでカレンダーが1〜2ヶ月ずれてしまっただけ)。 豆をまくことにより、悪鬼を追い払い、一年間を平穏に暮らそう、と言う儀式が、この豆まき。 「追儺」には、「豆をまく」と言う行為がありませんが、おそらく、葦の矢を豆に見立てたか、小儺の誰かが小石でもを投げつけたのでしょう。 そんなわけで、鬼ごっこには1300年以上もの長い歴史があるのです。 参考文献;京都新聞 電子版【http://www.kyoto-np.co.jp/】 JRバス観光【http://www.jrbuskanto.co.jp/】 |
1週間は何故7日なのか? 1週間は、7日間です。こんな事は、完全に常識。 では、何故6日でも8日でもなく、「7日」なのでしょうか? その理由は、1週間を作った太古の人々が、太陽と月を含めた、7つの天体を元にして、1週間を作ったから、です。 この7つの天体と言うのは、 太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星 の7つです。 暦が最初に考えられた大昔、人々は毎晩夜空を観察し、星の動きに規則性を見出していきました。 ところが、現在「惑星」と呼ばれている星たちは、他の星とは全く違う動きをしていました。 当時発見されていた惑星は、全部で5つ。 すなわち、「水星、金星、火星、木星、土星」の5つです。 この5つと、太陽、月の全部で7つの天体が、それぞれ聖なるものとされ、神のようにあがめられるようになったのです。 では、曜日の順番は? と言いますと、 古代エジプトの宇宙観では、地球は宇宙の中心にあり、その周りを、他の星たちが回っている、とされていました。 いわゆる、「天動説」の事です。 そして、「遠い星から順番に時間を支配している」と信じられていました。 遠い、と言っても、当時の科学力。現在わかっている順番とは、大きく違います。 遠い順番から天体をそれぞれ並べますと、 「土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月」 の順番になっています。 この順番を使って、まず時刻に対応する天体が決められました。 まず、第1日目の第1時間目を、最も遠い土星に当てはめました。 次に、第1日目の第2時間目を、次に遠い木星に当てはめました。 そして、3時間目が火星、4時間目が太陽、5時間目が金星…と、24時間分、当てはめていきます。 もちろん、第7時間目には月になりますが、そしたら次は、土星に戻ります。 すると、第24時間目に来るのは、火星。 火星の次は太陽ですから、第2日目の第1時間目は、太陽になるのです。 そして、第2日目の第24時間目は、水星で終わります。 つまり、第3日目の第1時間目は、水星の次にある、月になるのです。 こうして行くと、第4日目の第1時間目は火星、次の日は水星、次の日は木星、次の日は金星、そして第8日目には、土星に戻るのです。 そして、それぞれの日の第1時間目に来る天体が、それぞれの「日」を支配する天体とされました。 つまり、それがその日の「曜日」になるわけです。 こうすると、先ほども述べたように、第1日目から順に、土星、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星…と回るのです。 これが、現在の曜日の順番である「土、日、月、火、水、木、金」なわけです。 この順番で行くと、1週間は土曜日から始まる事になります。 しかし、現在のカレンダーのほとんどは、日曜日から始まっています(まれに月曜日から始まるのも見かけますが)。 この理由について、明確な理由はわかっていないようですが、有力な説としては、 エジプト人に虐待されたヘブライ人が、エジプト人が週の初めとしていた土曜日を、週の終わりに置き換えた、と言う説があります。 そうすると、日曜から始まり、土曜で終わる、現在のカレンダーが出来上がるのです。 |
雛人形は、呪いの人形! 3月3日の行事と言えば、ひな祭り。 最近は減って来たようですが、ひな祭りと言えば、ひな人形を飾るのが普通。 しかし、ひな祭りが始まったばかりの頃は、あまり飾る事を目的とはしていませんでした。 ひな祭りが本格的に始まったのは江戸時代の事ですが、形だけなら、室町時代からありました。 その時、ひな人形も一応飾られてはいましたが、その時の人形は、今のような人形ではなく、ただの紙製の物。 そして、扱い方も現在とは大きく異なります。 実は、ひな人形たちは本来、呪具…つまり呪いの道具として扱われていたのです。 使い方は簡単。 ひな人形を自分の体にこすり付け、自分の穢(けがれ/不名誉や、不純さなど)を人形になしつけます。 それを川などに流す事により、自分の体に付いた穢を祓うのです。 しかし、次第に人形が現在のように精巧に作られるようになると共に、こうした風習は廃れていきました。 地域によっては、七夕の時にも、似たような人形を飾る事があるようです。 また、ハローウィンのように、子どもたちが菱餅などをもらい歩く(あるいは、盗って歩く)地域も、多数あります。 他にも、ひな人形を飾るのではなく、山遊び・磯遊びなどを行う地域もあります。 重箱にご馳走を詰め、山や海に遊びに行くのです。 一説には、花見や潮干狩りは、ここから発生したとされています。 そして、いつしかひな祭りの目的は変わって行き、「1年間子どもが無事だった事」を主に祝う祭りとなったのです。 ちなみに、「雛人形」の「雛」とは、「雛形」を略したもので、これには「小さい」などの意味があります。 では「雛人形」とはどういう意味かと言いますと、「人間を小さくした物」と言う意味。 つまり、「自分の穢を、自分と同じ形をした別の物に移す」と言う考えと言うわけです。 「コケシ」など、人間の形を真似したものは、基本的にこうした意味合いが強いのです。 |
NHKの「連続テレビ小説」。どこが「小説」? NHKで昼間にやっているドラマ。「連続テレビ小説」。 昭和36年(1961年)4月3日から始まった「娘と私」を筆頭に、 現在(平成17年(2005年)3月28日〜)放映中の「ファイト」まで、72シリーズあります。 ところで、「連続テレビ小説」と言う題名ですが、どこも「小説」のような気がしません。 では、何故「テレビ小説」なのでしょうか。 実は「連続テレビ小説」と言うのは、過去にラジオで放送されていた、「ラジオ小説」から来ているとの事なのです。 ラジオなら、「小説」と言うのも頷けます。 そして、テレビ放送にて、似たような物をやる時、「ラジオ小説」から「小説」を受け取り、「連続テレビ小説」となった、と言うわけです。 協力;NHKドラマ ホームページ班【http://www.nhk.or.jp/drama/】 |
国歌「君が代」には2番があった! 色々と論争が起こっていますが、とりあえず現在(2005年4月)の日本の国歌は、「君が代」です。 現在歌われている「君が代」は、「古今和歌集」から引き抜かれた、詠み人不明の和歌。 その歌詞は、 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」 です。 しかし、実は、「君が代」には2番が存在したのです。 先に、歌詞だけ書きましょう。 「1番;君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで うごきなく 常盤かきはに かぎりもあらじ 2番;君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき 御世の栄を ほぎたてまつる」 です。 1番も、微妙に長くなっているのに気がつけるかと思います。 この「君が代」は、1881年(明治14年)の11月に、文部省(当時)の音楽取調掛によって出版された、「小学唱歌集」(初編)に収録されています。 「まず学校などで歌わせ、国民に馴染むかどうか十分に試してから国歌とした方が良いだろう」 と言う意見が根強かったと言われています。 曲は、イギリス人のサミュエル・ウェブ1世の作品を下敷きにしたと言われていますが、詳しいことはよくわかっていないようです。 しかし、この曲は子どもたちに愛唱されることは無く、いつの間にかに忘れ去られてしまいました。 そして結局、現在の「君が代」が、日本の国歌となる事になったのです。 ちなみに、「君が代」が正式に日本国歌になったのは1999年(平成11年)。「国旗及び国歌に関する法律」で定められました。 なお、こちらが、この幻の「君が代」のリズムです。 上の歌詞と併せてご利用下さい。 上の歌詞を全て平仮名で書き、音2つ伸ばすところを「〜」で表した物を、下に用意しておきます。 「きみがよは ちよにやちよに さざれ〜いしの いわおとな〜り〜て〜 こけのむす〜ま〜で うごきなく ときわかきはに かぎりもあらじ きみがよは ちひろのそこの さざれ〜いしの うのいるい〜そ〜と〜 あらはるる〜ま〜で かぎりなき みよのさかえを ほぎたてまつる」 参考文献;「国のうた」(弓狩匡純・著) |
テレビ通販の観客たち。少し驚きすぎではないか? テレビによる通信販売…いわゆる「テレビショッピング」には、いくつかパターンがありますが、一番有名なのが、スタジオでやるもの。 売る人と、ゲストの芸能人、そしてバックにいて、「え〜っ!?」とか「わ〜っ!」と言う歓声を上げる観客。 しかし、あの観客たち、少し驚き過ぎているような気がする事もあります。 ところで、テレビ通販には、観客はいるのに、「スタジオに来ませんか」と言うような告知が無い事に、気がついたでしょうか? 実はあの観客たちは、一般人ではなく、完全なサクラ。 その名も「笑い屋」と言い、その名のとおり、お笑い番組などのバックから聞こえてくる、あの「笑い声」の主たちです。 テレビ通販の観客たちも、全て笑い屋なのです。 テレビ局の依頼で、素人(エキストラ)を派遣する、「仕出し屋」と言うものが存在し、笑い屋は、そこに属する派遣アルバイトなのです。 |
吹替え映画のキスシーン。声優同士もキスをするのか? 外国映画を日本で放映する場合、字幕と吹き替えの2つの方法がとられます。 そこで気になるのがキスシーンの吹き替え。 字幕なら問題ありませんが、吹き替えの場合、声優同士がマイクの前でキスをするのでしょうか? と、思いきや、そんな事はしません。 キスの音は、自分の手首に、唇をつけて出しているのです。 その方が、実際にキスをするよりも、それらしい音が出る、との事。 試してみれば、なんとなくわかることでしょう。 ちなみに、映画の音声テープは、セリフ、効果音、音楽の3つがひとつになっている場合もあれば、バラバラの場合もあります。 特に、初めから世界を市場としているアメリカ映画(ハリウッド映画)の場合は、音声テープはこの3種類を作っています。 その方が、吹き替えをする時、セリフのテープだけ新たに作れば良いので、安くすむのです。 で、キスの音は、場合によっては、効果音の方に入っているため、声優たちがキスの音を出す必要は無いのです。 もっとも、セリフのテープに入っている事の方が、多いようですが。 |
偶数と自然数。多いのは…? 「自然数」とは、日常的に自然に使う数の事。つまり、「1、2、3、4、5、6、…」が、自然数。 「偶数」とは、そのうちの、2の倍数。つまり、「2、4、6、8、10、12、…」が偶数。 この2つ、「どっちが多い?」と聞かれたら、あなたはなんと答えるでしょうか? 自然数は1、2、3、…。偶数は2、4、6、…。普通に考えれば、多いのは自然数のような気がしますが…。 実は、なんとも不思議な事に、「どちらも同じ」なのです。少なくとも、現代数学では、「同じ」と考えています。 では、解説していきましょう。 例えば、ここに10個のリンゴが入った箱があるとします。 ここから、リンゴを幾つか取り出した時、箱の中には、まだリンゴが残っていました。 この時、取り出したリンゴは、当然10個より少ないです。 この考え方をすると、確かに自然数より偶数の方が少なくなります。 しかし、現代数学では、別の方法を用いて、自然数と偶数を数えるのです。 例えば、ここにα個のリンゴが入った箱Aと、β個のリンゴが入った箱Bがあるとします。 箱Aと箱Bから、同時に1つずつリンゴを取り出していき、どちらか片方のリンゴがなくなったところで、取り出すのをやめます。 この時、箱Aのリンゴがなくなった時、まだ箱Bにリンゴが残っていれば、箱Bのリンゴの方が多い、と結論付ける事ができますし、 どちらも余らなかった場合は、どちらも同じ数、と結論付ける事が出来ます。 では、この考え方を、自然数と偶数に当てはめてみましょう。 自然数と偶数を1つずつ取り出すと、「1,2」「2,4」「3,6」「4,8」「5,10」…と言う風にペアが組めます。 このようにペアを延々と組み続けると、最終的にどうなるでしょうか? ここで忘れてならないのが、「自然数も偶数も、『無限』に存在する」と言う事。 無限に存在するのですから、どんなに組み続けても、決してなくなる事がありません。 なくならない、と言う事は言い換えれば、「どちらも余らない」と言う事。 先ほどのリンゴの例えで、「どちらも余らなかった場合は、どちらも同じ数、と結論付ける事が出来る」と説明しました。 自然数と偶数も、「どちらも余らない」のですから、このリンゴの考え方を用いれば、「どちらも同じ数」と言えるのです。 納得いかないかもしれませんが、「余らなければ同じ数」と言う当然の事実を、そのまま適用しているだけなのです。 ただ、少し遠慮して、「個数」と言う言葉の代わりに、「濃度」と言う言葉を使っているので、納得いかない方も、それで許してあげてください。 「無限」と言う、人類が永遠に追いつかない世界では、こんな不思議な現象が、ごく当たり前のように起こっているのです。 |
イグノーベル賞! 「ノーベル賞」とは、「アルフレッド・ノーベル(ダイナマイトの発明者)の遺言に従って1901年に始まった世界的な賞であり、世界的な権威を持つ賞」です。 しかし、ここで取り上げるのは「イグノーベル賞」。 実は、世の中には、こんな賞もあるのです。 「イグノーベル賞」とは、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究に対して与えられる賞」で、ノーベル賞のパロディ的存在。 創設されたのは、1991年です。 この名前は、「反」などの意味を持つ接頭語「イグ【ig】」を、「ノーベル賞」につけた造語であり、 同時に、「卑劣な」「あさましい」などの意味がある【ignoble】とかけたものです。 そしてこの賞には、工学賞、物理学賞、医学賞、心理学賞、化学賞、文学賞、経済学賞、学際研究賞、平和賞、生物学賞などがあります。 (年によってピッタリ符合する賞がない場合は、「栄養学賞」など新たに賞が作られるようです) 「ノーベル賞」ならば、世界に貢献するような研究に対して与えられますが、イグノーベル賞はそうとは限りません。 風変わりな研究や社会的事件などに対して与えられるのです。 それも、時には笑いと賞賛を、時には皮肉を込めて授与されます。 皮肉めいた受賞には、例えば、1996年の平和賞があります。 この時受賞したのは、フランスの大統領、ジャック・ルネ・シラク。 彼は何をやったかと言うと、広島原爆投下50年を記念して、南太平洋のムルロア環礁で核実験を行ったのです。 この行為は世界中から非難を浴びましたが、あろうことか「イグノーベル平和賞」を受賞したのです。 また、一時流行った「ミステリーサークル」。 これはイギリスのデイヴィッド・コーリーとダグ・バウワーが「自分たちがやった」と告白し、「サークル作成」を実演しました。 これにより、「ほとんどのミステリーサークルは人間の手で作れる」と言う事がわかりました。 その事を受け、1992年、このデイヴィッドとダグの2人に、 「イギリス作物の幾何学的破壊に基づく、場の理論への環状の貢献に対して」、イグノーベル物理学賞が授与されたのです。 まだまだ無名な賞ですが、実は日本人も結構取っており、2008年現在で13回も受賞しています。 ちなみに、本家ノーベル賞は2008年現在で15回です。 イグノーベル賞日本人受賞者一覧はこちら(一覧の雑学の部屋)をご覧ください。 「ノーベル賞より取るのが難しい賞」とも言われるイグノーベル賞。 しかし、こうしたバカバカしい研究が世界を発展させていくかもしれません(?)。 ちなみに、イグノーベル賞の公式HPはこちら[http://improbable.com/] 歴代受賞者はこちら[http://www.improb.com/ig/ig-pastwinners.html] ただし、全て英文です。 |